私は長い事背番号「10」を背負ってきた。
軟式野球のキャプテン番号である「10」を先代の監督から
譲り受け、誇りと共に試合に練習に挑んできた。
(本来監督番号は30です)
現役時代はショート・ポジションを毎試合任されており、
以前からヤンキースのデレク・ジーターに憧れていた私は
丁度空き番があった背番号「2」に10年前に変え、「10」は
これからの若い、チームの中心を担う人材がつければ良いと
思い空けておいた。
今年、我が地区のリーグ戦がグランド事情で組めなくなり、
以前エントリーしていた軟式野球連盟に加入する事となった。
これで区の大きなトーナメント戦二つにエントリーと相成った。
軟野連ではキャプテン番号「10」を背負った選手が必要となる
そうで、誰がつけるかチームで相談したが、結局10番の
ユニフォームを所有している私に返り咲いて欲しいと言う
事になり、しまい込んであった、優勝実績5度を誇る懐かしい
ローリングス製のシャツを引っ張り出した。
今では考えられない、30代の鹿のように飛び跳ねていた自分が
記憶の中から蘇ってきた。
毎年盗塁王で表彰された私だったが、今は走るのが大嫌いである。
ついでに過去に使用していた帽子、遠征バッグなどを天袋から
出すと、帽子のつばの襟には刺繍で「10が」。
遠征バッグにはチーム名と自分の名前、そして背番号「10」が
誇らしげに刺繍されている。
バッグの中には、やはり「10」と刺繍されたグランド・コート、
リストバンドやスパイクも出てきた。
こんなに大事にしていた背番号だった。
齢半世紀を過ぎて、再びこのユニフォームに袖を通す
日が来るとは・・・
今自分がチームに出来る最大限の事は、プレイヤーとしての
貢献ではない。
若い選手を支え、作戦面で、運営面での貢献が、この・・・
背番号「10」には似つかわしいと思った。
軟式野球のキャプテン番号である「10」を先代の監督から
譲り受け、誇りと共に試合に練習に挑んできた。
(本来監督番号は30です)
現役時代はショート・ポジションを毎試合任されており、
以前からヤンキースのデレク・ジーターに憧れていた私は
丁度空き番があった背番号「2」に10年前に変え、「10」は
これからの若い、チームの中心を担う人材がつければ良いと
思い空けておいた。
今年、我が地区のリーグ戦がグランド事情で組めなくなり、
以前エントリーしていた軟式野球連盟に加入する事となった。
これで区の大きなトーナメント戦二つにエントリーと相成った。
軟野連ではキャプテン番号「10」を背負った選手が必要となる
そうで、誰がつけるかチームで相談したが、結局10番の
ユニフォームを所有している私に返り咲いて欲しいと言う
事になり、しまい込んであった、優勝実績5度を誇る懐かしい
ローリングス製のシャツを引っ張り出した。
今では考えられない、30代の鹿のように飛び跳ねていた自分が
記憶の中から蘇ってきた。
毎年盗塁王で表彰された私だったが、今は走るのが大嫌いである。
ついでに過去に使用していた帽子、遠征バッグなどを天袋から
出すと、帽子のつばの襟には刺繍で「10が」。
遠征バッグにはチーム名と自分の名前、そして背番号「10」が
誇らしげに刺繍されている。
バッグの中には、やはり「10」と刺繍されたグランド・コート、
リストバンドやスパイクも出てきた。
こんなに大事にしていた背番号だった。
齢半世紀を過ぎて、再びこのユニフォームに袖を通す
日が来るとは・・・
今自分がチームに出来る最大限の事は、プレイヤーとしての
貢献ではない。
若い選手を支え、作戦面で、運営面での貢献が、この・・・
背番号「10」には似つかわしいと思った。