お盆休みには、最近城郭にはまっている三男と埼玉県北西部の
妻の実家を起点に、埼玉県内の城郭に行ってきました。
初日は国内でも数例しかない本丸御殿の現存する川越城ですが、
同城は以前ご紹介致しましたので省略させて頂きます。
ちなみに、私は若かりし会社員時代、川越市内にある事業所勤務
でしたので川越城は10回近く来ております。(;^_^A
さて二日目、戦国時代のちょっとマニアック?な城址、鉢形城に
三男と行ってまいりました。
鉢形城は、関越自動車道、花園インターより約15分の寄居町
に位置し、小田原北条氏(後北条氏)の関八州の抑えの城として
隣国大名への防御に重要な支城でした。
1476年に長尾景春(後の上杉氏)が築城しましたが、
上杉家の家老でこの地の豪族、藤田康邦が北条氏康の三男
氏邦を向かい入れ北条氏と提携し北武蔵、上野へかけての
拠点としました。
鉢形城は、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めのおり開城しており
その後廃城となりましたので、建築物の類は現存しておりません。
城の入り口である笹曲輪に設置された地形模型と鳥瞰地図。
荒川の河岸段丘に守られた堅固な城で、戦国期の城郭規模
としては広大な規模であることがわかります。
本廓と二の廓の間に位置する駐車場に愛車すあま号を止め
まずは本曲輪周辺を探索します。
日本100名城スタンプラリーに挑戦中の三男は、この草深い城址の
どこにスタンプがあるのかソワソワしております。(^_^;)
本郭方面に歩くこと約5分、碑を発見しました。
史跡鉢形城址碑
時代背景から土塁と空堀だけの城址だと思っておりましたが
美しく積まれた石垣も現存しており、北条氏邦が入城してから
かなりの規模の拡張工事が行われたことが分かります。
そして石垣に囲まれた坂道をあがると伝御殿曲輪に入ります。
後年、本郭(本丸)の真ん中に道路を通しちゃったんですね。
往時は御殿群が連立していた事でしょう。
発掘調査は実施されているはずですが、建物礎石などは
全く確認できません。
そして曲輪の端の土塁を目指します。
その先は荒川の河岸段丘による断崖絶壁のはずです。
どひゃ~!こんなに高いところに築かれていたのですね。
息子曰く、これでは攻めようがありませんね・・・。
寄居の町が一望できます。
荒川の河川敷ではバーベキューを楽しむ家族でいっぱいです。
曲輪と曲輪の間の土塁もよく残されております。
あれ、私の影が映りこんでますな。(^▽^;)
地形模型と鳥瞰地図があった笹曲輪です。
地図をよく調べると外曲輪に鉢形歴史資料館があります。
きっとスタンプはそこに違いない。早速向かいます。
駐車場を超え、更に南東方面に向かいます。
ここには歴史資料館の案内などは全くありません。
後に分かった事ですが、資料館および正式な駐車場の真反対から
アクセスしていたようで、本曲輪と外曲輪を隔てた深沢川(渓谷?)
自然の堀切も渡らねばならぬようで、アップダウンが激しい。

獣道のような狭い道を歩き、渓谷下の川を目指します。
こちら側から渡れる橋があるのか不安を感じながら
先を目指します。
ああよかった・・・小さな橋を発見。
この橋を渡り、厳しい坂の土塁を超えると外曲輪です。
この時点で私と息子は汗だく…。(゚_゚i)
まるで城攻めのようです。
しかし、重い具足に槍を持ってここを上り下りするのは
たいそう難儀な事でしょう。
アップダウンの城攻めを決行すること数十分・・・。
やっと、外曲輪に到着しました。
歴史資料館はどこだ!?スタンプはどこだ!
しかし、ショックな事実が・・・。
何と、鉢形歴史資料館は閉館しておりました。(。>0<。)
現在時刻16時30分・・・「入場は9:00~16:00です」
しかし、但し書きがありました。
スタンプラリーに参加の皆様へ・・・。
「スタンプは駐車場正面のポストの中にあります」
よくよく考えると、こちらからアクセスするのが普通なのね。
無事スタンプを押し、元来た道を再度汗だくで、すあま号の
待つ駐車場へ帰りました。(;^_^A
妻の実家を起点に、埼玉県内の城郭に行ってきました。
初日は国内でも数例しかない本丸御殿の現存する川越城ですが、
同城は以前ご紹介致しましたので省略させて頂きます。
ちなみに、私は若かりし会社員時代、川越市内にある事業所勤務
でしたので川越城は10回近く来ております。(;^_^A
さて二日目、戦国時代のちょっとマニアック?な城址、鉢形城に
三男と行ってまいりました。
鉢形城は、関越自動車道、花園インターより約15分の寄居町
に位置し、小田原北条氏(後北条氏)の関八州の抑えの城として
隣国大名への防御に重要な支城でした。
1476年に長尾景春(後の上杉氏)が築城しましたが、
上杉家の家老でこの地の豪族、藤田康邦が北条氏康の三男
氏邦を向かい入れ北条氏と提携し北武蔵、上野へかけての
拠点としました。
鉢形城は、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めのおり開城しており
その後廃城となりましたので、建築物の類は現存しておりません。
城の入り口である笹曲輪に設置された地形模型と鳥瞰地図。
荒川の河岸段丘に守られた堅固な城で、戦国期の城郭規模
としては広大な規模であることがわかります。
本廓と二の廓の間に位置する駐車場に愛車すあま号を止め
まずは本曲輪周辺を探索します。
日本100名城スタンプラリーに挑戦中の三男は、この草深い城址の
どこにスタンプがあるのかソワソワしております。(^_^;)
本郭方面に歩くこと約5分、碑を発見しました。
史跡鉢形城址碑
時代背景から土塁と空堀だけの城址だと思っておりましたが
美しく積まれた石垣も現存しており、北条氏邦が入城してから
かなりの規模の拡張工事が行われたことが分かります。
そして石垣に囲まれた坂道をあがると伝御殿曲輪に入ります。
後年、本郭(本丸)の真ん中に道路を通しちゃったんですね。
往時は御殿群が連立していた事でしょう。
発掘調査は実施されているはずですが、建物礎石などは
全く確認できません。
そして曲輪の端の土塁を目指します。
その先は荒川の河岸段丘による断崖絶壁のはずです。
どひゃ~!こんなに高いところに築かれていたのですね。

息子曰く、これでは攻めようがありませんね・・・。
寄居の町が一望できます。
荒川の河川敷ではバーベキューを楽しむ家族でいっぱいです。
曲輪と曲輪の間の土塁もよく残されております。
あれ、私の影が映りこんでますな。(^▽^;)
地形模型と鳥瞰地図があった笹曲輪です。
地図をよく調べると外曲輪に鉢形歴史資料館があります。
きっとスタンプはそこに違いない。早速向かいます。
駐車場を超え、更に南東方面に向かいます。
ここには歴史資料館の案内などは全くありません。
後に分かった事ですが、資料館および正式な駐車場の真反対から
アクセスしていたようで、本曲輪と外曲輪を隔てた深沢川(渓谷?)
自然の堀切も渡らねばならぬようで、アップダウンが激しい。

獣道のような狭い道を歩き、渓谷下の川を目指します。
こちら側から渡れる橋があるのか不安を感じながら
先を目指します。
ああよかった・・・小さな橋を発見。
この橋を渡り、厳しい坂の土塁を超えると外曲輪です。
この時点で私と息子は汗だく…。(゚_゚i)
まるで城攻めのようです。
しかし、重い具足に槍を持ってここを上り下りするのは
たいそう難儀な事でしょう。
アップダウンの城攻めを決行すること数十分・・・。
やっと、外曲輪に到着しました。

歴史資料館はどこだ!?スタンプはどこだ!
しかし、ショックな事実が・・・。
何と、鉢形歴史資料館は閉館しておりました。(。>0<。)
現在時刻16時30分・・・「入場は9:00~16:00です」

しかし、但し書きがありました。
スタンプラリーに参加の皆様へ・・・。
「スタンプは駐車場正面のポストの中にあります」

よくよく考えると、こちらからアクセスするのが普通なのね。
無事スタンプを押し、元来た道を再度汗だくで、すあま号の
待つ駐車場へ帰りました。(;^_^A