出張の最終日、宮城県からレンタカーで一路岩手県へ。車


高速道路を走行する車の台数は少なく、とても走りやすい。


一時間と少々で平泉に到着。


ちょうどお昼の時間帯だ。


中尊寺付近の蕎麦屋さんでまずは腹ごしらえ。


妻が迷わず選んだのは、椀子蕎麦でした。







たしか、誰かさんのブログでも紹介していたなあ。(;^_^A


しかし、凄い食欲ですね。


私のなんてこのサイズですよ。





前日の夜、牛タンに仙台牛たたきなど肉類を沢山頂いて


お酒も少々飲みすぎ、ホテルで朝ごはんもしっかり頂いたので


このくらいの量で十分です。


さて、お腹も落ち着いたので、いざ中尊寺へ。






緩やかな坂道(結構きつかった)に林立した木立です。


義経公や弁慶等主従も何度も歩いていたであろう事を想像すると


なぜか勧進帳のストーリーが思い出され胸にしみます。









そしてまず姿を見せたのが弁慶堂。


堂は文政9年の再建だそうだが、安宅の関で弁慶が読み上げた


白紙の勧進帳(国宝)と、山伏姿で背負った笈(おい)が陳列。


鎌倉彫の美しい彫刻が施された正真正銘の実物である。


(本当に現存しているとは感激でした)合格


内部は撮影禁止ですのでご覧になられたい方は中尊寺へ。








そしてさらに参道を登ります。


妻はだんだん歩く速度が落ちてきたような…。頑張れ~!




ずいぶん上ってまいりました。


本日、平野部は蒸し暑い曇天でしたが、参道は非常に涼しい。


そして本堂へ。





元々の本堂は火災で焼失しており、明治42年に再建された


そうである。


一山の法要は全てこの本堂で厳修されるそうである。


信心深い妻はお布施をし、本尊釈迦如来の前で焼香した。




中尊寺は過去に大火でかなりの堂や塔などを失ったが


中には無傷で現存している堂もある。


その代表的な堂が国宝金色堂である。


この梵鐘も1342年に鋳造されたというから、時代は


藤原期ではなく南北朝時代製造である。





さて、いよいよ国宝金色堂へ。


但し、金色堂内部は全て撮影禁止ですのでフリー素材


画像をお借りしてご紹介させていただきます。



現在の覆堂(金色堂はこの中)





覆堂(風雨から守るため金色堂を覆う堂)の内部に入った


瞬間の感動は筆舌に尽くしがたい。


奥州藤原氏初代清衡が1124年(天治元年)に建立したもので、


1962年の解体修理を経、建立当時の姿をそのままに現存。






須弥壇内の中には現在も、藤原清衡、基衡、秀衡のミイラ化した


遺体と鎌倉幕府によって討ち滅ぼされた4代泰衡の首級が


納められている。


しかし、何という贅の限りを尽くした堂及び壇であろう。


当時の奥州藤原氏の栄華が反映されている。




超逆光写真失礼


諸説あるが、こちらが鎌倉幕府によって造られたとされる


覆堂である。(室町中期建立という説もある)


現在の覆堂建設時にこちらに移されたそうである。



覆堂内部


江戸時代にペタペタ張り付けられたであろう悪戯跡が


悔しくもあり、微笑ましくもある。


この後、一字錦林金輪佛頂尊座像が御開帳となっており


数々の国宝とともに在り難く拝見させて頂いた。


(全て撮影禁止です)


さて、新幹線の時間が迫っておりまして、急ぎ一ノ関駅へ。







そして帰りはやはりこれです。(;^_^A




このホヤの乾物、昔からビールにピッタリなんですよ。合格


秋田、盛岡、一ノ関、仙台、福島・・・。


会社員時代、東北地方に出張に来ると帰りは必ず


この組み合わせで疲れを癒しました。(^▽^;)


そうだ、買い置きがまだあったはずだ。ひらめき電球


(ホヤの乾物は東北新幹線内でしか購入できません)






今日も仕事が終わったら、この組み合わせでいきますか!