先週の出張の続きでございます。





昨夜は、妻と鮮魚と牛タンの楽しい夜を過ごしたが、


私は仕事に運転で、未だにかなり疲れが残っている。


二日も休んで罰が当たったのか、家内は本日は休日出勤ですって。







さて、今回は二度目の多賀城政庁跡訪問である。


初回は会社員時代の部下ときました。


奈良時代の東北の貴重な遺構である。





*現在は連絡が取れませんが、以前のブログ友達の宮城県
 仙台市在住の千葉氏によれは、3.11時、多賀城は高所の為、
 避難所、食糧補給所として使われたそうです。
 いにしえから多くの地震、津波からの避難地だったそうです。
 集まった皆さまは号泣とのこと、当然です。
 冗談じゃない、日本国民誰でも泣いちゃいます。
 
 実は、奈良時代を含めその後も地震や津波に多く遭遇し、
 この政庁跡は食料保管所として使われていたそうです。





平城京跡は自然心焦がれるが、再び訪れて多賀城跡(柵跡)も


何と素晴らしいと心が躍ります。


ご覧下さい。奈良時代建立の東北、多賀城柵の遺構です。






政庁跡を目指します。






政庁跡の礎石群です。






さらに、naolin・・・妻ともに登ります。








多賀城はもとは多賀柵という名称でした。


秋田や盛岡にも、柵の跡が多数発掘されております。


当時、金と馬(駿馬)の生産地、東北は大いに潤っておりました。






そして、政庁跡の土塁が残ります。


(復元です・・・当たり前ですが)







歴史の深さを鑑みるに、身もだえしそうです。


私は歴史の流れに泣きそうでした。あせる







一応、堂は撮影してまいりましたが、家内に任せ、日本最古の


石碑の撮影を出来ませんでました。


ママ、どうしたの?


(仕方ないよね、自分で撮影しないからいけない)(;^_^A








これより、奥州藤原四代の地、遠い先祖嫡流、九朗判官義経公の


終焉の地奥州平泉に参ります。







つづく…