私の棲む東京23区の一区は、福島県南相馬市と姉妹都市である。
震災から5か月後の夏、私はまだ少年野球の指導者も
兼任しており、同志と共に区に南相馬の少年野球チームを招く
提案をし区から全面的な支援を獲て招待が実現した。
親善野球の試合の翌日、中学校のグランドにやぐらを立て
お祭りと盆踊りをやって楽しんでもらおうと企画し、綿菓子や
フランクフルト、ヨーヨー釣りなどの屋台を設営し彼らを迎えた。
彼らは父母を伴って皆用意した浴衣を着て参加してくれた。
女の子たちは久しぶりの華やかな衣装に嬉しそうだった。
私は金魚すくいコーナーの素人野師になり子供達を迎えたが
そのうち気がついた。
どの子供達も遊んでいても心ここに無く、皆寂しそうだった。
あたりまえである・・・。
翌朝、彼らは礼儀正しくお礼を言い壊滅的な故郷に帰って行った。
私は、こんな稚拙な企画での励ましは彼らにとって何もならない
と心から嘆いた。
彼らの苦しみなど何も分かっていないと。
一月後、彼ら一人一人からの手紙が送られてきた。
そこには…
「一生懸命、私達を励して下さってありがとうございました」
「縁日とても楽しかったです。またそちらに行きたいです」
「さすがに東京のチームは強かったです、また挑戦します」
「東京のホテルに初めて泊まりました、良い思い出になりました」
「これから一生懸命努力して復興します。今度はぜひ南相馬に
遊びに来て下さい。」
など、心のこもった少年少女達の思いが綴られていた。
十数人の実行委員と共にその手紙を読み、皆で号泣した。
あれから5年、彼らは皆立派な高校生に成長しているだろう。
微力かもしれない。
しかし、その時出来ることを即座に実行する事に本当の価値が
あると思った。
成長した彼らに是非会ってみたい。
そして言いたい。
勇気をもらったのは私達でした。・・・と。
震災から5か月後の夏、私はまだ少年野球の指導者も
兼任しており、同志と共に区に南相馬の少年野球チームを招く
提案をし区から全面的な支援を獲て招待が実現した。
親善野球の試合の翌日、中学校のグランドにやぐらを立て
お祭りと盆踊りをやって楽しんでもらおうと企画し、綿菓子や
フランクフルト、ヨーヨー釣りなどの屋台を設営し彼らを迎えた。
彼らは父母を伴って皆用意した浴衣を着て参加してくれた。
女の子たちは久しぶりの華やかな衣装に嬉しそうだった。
私は金魚すくいコーナーの素人野師になり子供達を迎えたが
そのうち気がついた。
どの子供達も遊んでいても心ここに無く、皆寂しそうだった。
あたりまえである・・・。
翌朝、彼らは礼儀正しくお礼を言い壊滅的な故郷に帰って行った。
私は、こんな稚拙な企画での励ましは彼らにとって何もならない
と心から嘆いた。
彼らの苦しみなど何も分かっていないと。
一月後、彼ら一人一人からの手紙が送られてきた。
そこには…
「一生懸命、私達を励して下さってありがとうございました」
「縁日とても楽しかったです。またそちらに行きたいです」
「さすがに東京のチームは強かったです、また挑戦します」
「東京のホテルに初めて泊まりました、良い思い出になりました」
「これから一生懸命努力して復興します。今度はぜひ南相馬に
遊びに来て下さい。」
など、心のこもった少年少女達の思いが綴られていた。
十数人の実行委員と共にその手紙を読み、皆で号泣した。
あれから5年、彼らは皆立派な高校生に成長しているだろう。
微力かもしれない。
しかし、その時出来ることを即座に実行する事に本当の価値が
あると思った。
成長した彼らに是非会ってみたい。
そして言いたい。
勇気をもらったのは私達でした。・・・と。