日にちは前後しますが、京都旅行の番外編です。


京都駅から東海道本線 特急に乗って滋賀県へ。(;^_^A


(東京の方角に戻ってるじゃないの)(^▽^;)


まあ、当ブログによくご訪問頂いている方には、私たち夫婦の


旅行中の行動パターンがお分かりかもしれません。


ちょうど琵琶湖にそって長浜方面へ。


途中、通過駅の安土駅を過ぎたあたりで目を凝らしてカメラを


構え、とある山を捜す・・・。電車


あった~音譜



安土山(安土城址跡)


信長公の野望の城、安土城址である。


実は、安土城も、この後ご紹介する城址も何とか登山し


探索したいと思っていたが、本日も最高気温予報は38℃。


予定も詰め込みすぎていたので、車窓からの撮影で我慢した。


あの山の頂上に5層の天守が聳え、山一帯には多くの曲輪


御殿、寺院があったそうだ。


以前は安土山は琵琶湖畔に接していたそうだが、現在は


ずいぶん内陸部に位置し、あの山の頂上にでも登らなければ


琵琶湖は見えない。






安土城を築城した時、天下はもう殆ど信長公の手中にあった。


惟任日向守(明智光秀)の裏切りにあい、下天に昇天され、


この城の存在も無意味なものになった。


百歩譲って、既に織田家の家督を継いでいた、嫡子秀忠が


父と運命をともにしなかったら、安土城は温存され、ゆくゆくは


信玄公、信長公の血を引く、嫡孫三法師(秀信)へと脈々と


引き継がれていったかもしれない。






安土城は近年の発掘調査で、不明であった遺構の多くが


出土し、従来の大手門の何mも下から、本来の石段や


石垣が出土したそうだ。


電車から飛び降りて、あの山頂に向かいたい衝動を抑え


車窓からと遠ざかってゆく安土山を追った。





そして彦根駅に到着。


もう、どこに向かうのかはお分かりだと思いますが、


そちらはまた後日という事で・・・。


この日もさんざん歩き回り、彦根駅前のデパートの


レストラン街で遅い昼食をとった。


窓の外に一層高い山が見えた。


再び、あった~音譜



佐和山(佐和山城址跡)


関ヶ原の戦いでの、西軍側の*実質的な総大将、石田三成の


居城の佐和山城址である。


*実際の総大将は毛利輝元であるが、毛利氏は関ヶ原の戦では
 戦っておらず、采配をふるっていたのは石田三成。


これまた随分と険しい山上に築城したものだ。


彦根は中山道と北陸道が合流する交通の要衝で、東国と西国の


結節点であることから、信長、秀吉の時代より重要視され、


関ヶ原の戦後、徳川の旗本筆頭である井伊直政がこの城に


入城、さらなる堅固な城、彦根城が築かれた。





食後、レストランの若いウェイトレスに


「あの山、佐和山城ですよね」と、聞くと、


「そうです」と二つ返事で返ってきた。


「あの山(城)どこから登ればいいんですか」と聞くと、


笑いながら、「今まで登ったという人の話も聞かないし、


登れるという話も聞いたことない」と一笑されてしまった。(;^_^A






まあ、城があったんだし、どこかに登山道はあるのだろうが、


彦根城には行っても、佐和山城に行ってみたいと思う人は


地元でもあまりいないようだ・・・。


naolin は、絶対行かないよと涼しい顔をしている。あせる







あっしが変態ってことか・・・。σ(^_^;)