徳川家の霊廟(将軍御墓所)は増上寺、上野寛永寺に現存するが
徳川将軍家15代のうち、12人の将軍の墓所だけである。
以前、*(注1)ブログにも書いたが、増上寺の霊廟は年に一度
一般公開されているが、寛永寺の霊廟は未だ未公開である。
*(注1):増上寺の霊廟は、当ブログ、ちょっと歴史の話
2013.12.3 「徳川将軍家霊廟」をご参照ください。
初代家康公、三代家光公の霊廟は日光の東照宮にあり、
一五代、*(注2)慶喜公の墓所は谷中の霊園内にある。
*(注2):一五代慶喜公の墓所は、当ブログ、ちょっと歴史の話
2012.12.6 「徳川慶喜公墓所」をご参照ください。
家康公の神域(霊廟)は、昭和40年、350年式年大祭の折に
一般公開され、今年は400年式年大祭を迎えた。
先日、ふらりと日光(栃木県)に妻と出掛け、到着してみて
400年式年式典中であるのに大変驚いた。
家康公の霊廟や、位牌まで一般公開されていたのである。
妻の運でまた導かれたのか・・・。(;^_^A
重要文化財 奥宮御宝塔(家康公御墓所)
御祭神家康公の神枢をおさめた宝塔で、当初は木造であったが、
5代将軍綱吉公の時、現在の唐銅製に改められたそうである。
日光山一番の高所にあり、東照大権現として下天を見守っている。
参拝し、位牌を拝見し、手を併せて拝ませて頂いた。
家光公の霊廟のある日光山輪王寺にも足を運んだが、
墓所である国宝大猷院は公開されていなかった。
近隣には川越東照宮も健立した天海大僧正墓所も現存している。
その後、徳川宝物殿で関ヶ原の戦いの時着用していた鎧、籠など
徳川家ゆかりの宝物を拝見した。
全て撮影は禁止なので、ご紹介出来ないのが実に残念である。
家康公のお声掛かりで徳川幕臣となった、武田遺臣の当家にとって、
何とも有り難い一日となった。
徳川将軍家15代のうち、12人の将軍の墓所だけである。
以前、*(注1)ブログにも書いたが、増上寺の霊廟は年に一度
一般公開されているが、寛永寺の霊廟は未だ未公開である。
*(注1):増上寺の霊廟は、当ブログ、ちょっと歴史の話
2013.12.3 「徳川将軍家霊廟」をご参照ください。
初代家康公、三代家光公の霊廟は日光の東照宮にあり、
一五代、*(注2)慶喜公の墓所は谷中の霊園内にある。
*(注2):一五代慶喜公の墓所は、当ブログ、ちょっと歴史の話
2012.12.6 「徳川慶喜公墓所」をご参照ください。
家康公の神域(霊廟)は、昭和40年、350年式年大祭の折に
一般公開され、今年は400年式年大祭を迎えた。
先日、ふらりと日光(栃木県)に妻と出掛け、到着してみて
400年式年式典中であるのに大変驚いた。
家康公の霊廟や、位牌まで一般公開されていたのである。
妻の運でまた導かれたのか・・・。(;^_^A
重要文化財 奥宮御宝塔(家康公御墓所)
御祭神家康公の神枢をおさめた宝塔で、当初は木造であったが、
5代将軍綱吉公の時、現在の唐銅製に改められたそうである。
日光山一番の高所にあり、東照大権現として下天を見守っている。
参拝し、位牌を拝見し、手を併せて拝ませて頂いた。
家光公の霊廟のある日光山輪王寺にも足を運んだが、
墓所である国宝大猷院は公開されていなかった。
近隣には川越東照宮も健立した天海大僧正墓所も現存している。
その後、徳川宝物殿で関ヶ原の戦いの時着用していた鎧、籠など
徳川家ゆかりの宝物を拝見した。
全て撮影は禁止なので、ご紹介出来ないのが実に残念である。
家康公のお声掛かりで徳川幕臣となった、武田遺臣の当家にとって、
何とも有り難い一日となった。