丸亀城(亀山城)は石垣の名城といわれております。



石垣の石積みの種類も、野面積み、打ち込みハギ、



切り込みハギなど、様々な石積みが見られます。



天守、一の門、二の門が現存で、重要文化財に指定されております。




亀山上縄張り図



通常、観光客は図の上側の門から入城しますが、今回はあえて



最も堅固な防御の要、搦め手口(図の下側)から挑みます。



又もや、きつい山登りにつき合わされる同行者。(^o^;)




搦め手口を入ると、すぐに石垣群が現れました。



しかし、石垣と緑の調和が美しいですね。



まだ傾斜はそれほどでもありません。




複合的に重なり合う石垣群。それにしても高いですね。



さて、本格的に登り出します。




計算しつくされた石組みですね。




この石垣の上には、当時は白壁が永遠と続いていたことでしょう。



右側の石段は、武者走りでしょう。




上ってきた道はこの通り、かなり傾斜がきついです。



また家内からクレームの眼 目 が・・・。(;^_^A




厳しい傾斜がやっと終わり、三の丸へ。



これは三の丸井戸です。




すぐ近くに隅櫓跡がありました。



明治の火災までは現存していたそうです。



石垣が不安定なのか、立ち入り禁止となっております。




少し歩くと又もや櫓跡が・・・。この城は三重の天守を中心に



数多くの櫓が存在し、壁や武者走りで櫓をつなぎ



組織的な防御体制がとられていたのでしょう。




やっと天守が見えてきました。



この一層上が本丸ですので、二ノ丸はもうすぐですね。




そして二の丸です。



この二の丸跡に、驚きの建築物がありましたが



後ほどご紹介いたします。



あと、数十段の石段を登れば最上層に到達の予定。




そして本丸からの眺めです。



家内に促されて、石垣のぎりぎり端まで移動し撮影しましたが



足はがくがく振るえ、腰は引き尋常な精神状態ではありません。



腰抜けで撮影する私を見て、一同大爆笑。( ̄_ ̄ i)




おお、あんなところにも櫓台の跡が・・・。



私は、この藩に召抱えられても城勤めは出来なかったでしょうな。




そして丸亀城天守です。



何か、ひょうきんな意匠だと思いませんか。



二槽目三層目が、兜をかぶった武者の顔をイメージ



しているのだそうです。



(何か可愛いですね。目と鼻と口がある)(*^▽^*)



で、折角、重文の現存天守ですから登ってみましょう。




一層目にある鉄砲狭間です。



これ一つしか空いていないんじゃ、あまり意味がないような気が。




そして、こんな急な階段を上ります。



片手にカメラでは怖いので手ぶらであがります。




天守内部です。



やはり、規模は小さく、江戸城の月見櫓程度の規模です。




天守最上階の窓より下を見ると、やはり街が一望できます。



私には長居無用ですので、さっさと降りましょう。




ママ~!気をつけて降りてね~。



この階段、上るより降りるのは更に怖い。ドクロ






そして再度二の丸へ。



なんと、この屋敷は最後の藩主だった京極氏の



江戸の屋敷の一部を、移築したものだそうです。



江戸からここまで・・・大変だったでしょうね。(^_^;)




そして城を下ります。



この石段は武者走りの遺功ですね。



何だか一番上の段はいい加減に積まれておりますが、



崩れたのを、適当に?戻したのでしょう。




行きに見た石垣を今度は下りから望む。



何度見ても凄い仕事です。良い仕事してますね~。




いやいや、見事な石垣群でした。



高知城とはまた別の意味で趣がございました。



そして城の内掘りへ・・・。




内堀脇を、城をあとにしました。




上の天守からはこの辺ははっきり見えたのに、



ここからは天守があまり見えません。



そう言えばこんなエピソードを思い出しました。



讃岐を2藩に分割する前、丸亀城は高松城の支城でした。



徳川幕府から一国一城令が出て、丸亀は廃城にせねばならず



それを惜しんだ城方は、木々を植えで櫓群を全て隠して



幕府からの使者を欺いたそうです。



そんな雰囲気の写真ですね。




もう一ヶ所どうしても行きたい場所があり・・・。



不完全燃焼のまま、丸亀城をあとにしました。





さて、遅いお昼に、丸亀製麺のうどん食べに行くぞ!ラーメン


つづく・・・