さて、いよいよ高知での私にとってのメインエベント、高知城です。
高知城は参照して頂きたい写真が多く、厳選いたしましたが、
とても一回では掲載しきれず、二回に分けて紹介させて頂きます。
本郭内部の構造は次回予定です。
高知城は、日本で唯一、本郭内(本丸を含)の全ての建造物が
現存する、現存12天守の中でも貴重な城史です。
この城は旧国宝から重要文化財に指定しなおされておりますが、
国宝の四城、姫路城、松本城、彦根城、犬山城は、それぞれ
天守や櫓や壁などは、多く現存しておりますが、本丸御殿を含む
本郭内の全ての建造物が現存している城は高知城のみです。
追手門と、奥に見えるのが天守閣です。
門も天守も、もちろん現存で重要文化財です。
この景観は、高知の皆さんの自慢の種となっているそうです。
石垣も見事ですね。
早速攻め込むことに致しましょう。
それにしても美しい、石垣が緑に映えますね。
石垣の上部中央に出っ張っているのは石樋です。
雨や台風の多い高知では、このような排水の機構や
水路が設ずけられ、城内にたまった水を強制的に
排水していたそうです。
長宗我部時代は、一度排水に悩み、築城を断念したほどです。
山内一豊公の威信作ですね。
石垣の手前には、石で作られた水路が多く見受けられます。
この水路や石樋は、現在でも現役で働き続けているそうです。
三の丸の野面積みの石垣群です。
自然石を利用しておりますので、積み上げるのに苦労が多かった
事でしょう。
三の丸石垣上部の石樋です。
先程と形状が異なりますが、このような排水口が、
城内に16箇所現存しているそうです。
三の丸の段まで上がりますと、やっと天守がすぐ近くに
現れました。
望楼型の天守閣で、山内家の天守は例外なくこの形状です。
移封まえの遠州掛川の天守も同様でした。
徳川家康公より、土佐一国を与えられ、石高は約24万と
3倍近くなりましたが、掛川への思い入れがあったのでしょうね。
櫓や武者走りの壁には、多くの石落としが見られます。
太平の世の城ですが、戦う城だったのですね。
三の丸の階段を上がると詰門が現れます。
左側に天守が望めますので、通常攻めて来た場合
この門を破れば本丸かと考えそうですが、これがこの城最大の
防御で、詰門に進入し、その先の郭に出ても、そこは本丸どころか
馬場郭で、別称捨て郭とも呼ばれ、建物は何もありません。
それだけでなく、先程まで見えていた天守も姿を消します。
反対側から見るとこの通り。
ここに敵をひきつけ、一段上にある本丸、二の丸から
矢や鉄砲、石で徹底的に討ち取る構造になっております。
こりゃ、たまったものじゃありませんな。(;^_^A
本丸への正解の道は、詰め門を右折し、階段を上がり、
二の丸に出ないと本丸には到達できません。
二の丸入り口から、天守本丸方面を臨む。
写真では確認しづらいと思いますが、石垣と渡り櫓や
塀の間には、無数の武者返しがあり、石垣を登って天守に
取り付く事は至難の業です。
二の丸に出ますと、建物は全く有りません。
残念ながら、廃藩置県後、全て破却されたそうです。
え?目の前の建物は何かって?
実はこれ、先程見た詰門です。詰め門の上の部分が
通路になっており、ここを通らなければ本郭(本丸)には
到達できません。
通路をとおりますとこの通り。
やっと本丸に出ました。ここから見ると天守が小さく見えますね。
三層六階の天守ですので、十分高いのですが。
とても上品な意匠の天守だと思いませんか。惚れ惚れします。
最後にご参考まで、本丸まで私が歩いた順序です。
さて、本日はここまでとさせて頂きます。
次回は本丸と天守内部です。つづく・・・













