天正18年(1590年)石田三成が忍城を攻めた際、成田家一の家臣、正木丹波守が
守備していた激戦地が忍城佐間口です。
現在は天神社があり、このあたりが佐間口であったと伝えられております。
正木丹波守の屋敷もこのあたりにあったと伝えられており、町名も佐間です。
この神社の裏手に回ると、城址らしい雰囲気が漂っており、この先は天然の?
堀のようです。
ちなみに違う角度から見るとこの通り。
これはまさしく自然の川を利用した堀ですね。
忍城の遺構は殆ど失われたとありますが、こんな街中に当時の様子を
映し出す遺構が残っております。
忍城に向かう道路の反対(東側)には、戦後 正木丹波守が武家から
僧籍に入り建立したと伝えられる高源寺があり、正木氏もここに葬られて
いるそうです。
山門を入ると、門脇に正木丹波守の墓碑も現存しておりました。
正木丹波守が、忍城水攻めによる戦没者の霊を供養する心は
現在も引き継がれ、墓碑に花が手向けられておりました。
天真山高源寺
埼玉県行田市佐間1-2-9 TEL 048-554-0042
守備していた激戦地が忍城佐間口です。
現在は天神社があり、このあたりが佐間口であったと伝えられております。
正木丹波守の屋敷もこのあたりにあったと伝えられており、町名も佐間です。
この神社の裏手に回ると、城址らしい雰囲気が漂っており、この先は天然の?
堀のようです。
ちなみに違う角度から見るとこの通り。
これはまさしく自然の川を利用した堀ですね。
忍城の遺構は殆ど失われたとありますが、こんな街中に当時の様子を
映し出す遺構が残っております。
忍城に向かう道路の反対(東側)には、戦後 正木丹波守が武家から
僧籍に入り建立したと伝えられる高源寺があり、正木氏もここに葬られて
いるそうです。
山門を入ると、門脇に正木丹波守の墓碑も現存しておりました。
正木丹波守が、忍城水攻めによる戦没者の霊を供養する心は
現在も引き継がれ、墓碑に花が手向けられておりました。
天真山高源寺
埼玉県行田市佐間1-2-9 TEL 048-554-0042