昨日の畠山重忠公のブログが、どういう訳か人気が有りましたので
本日も城館ネタで綴ります。
私は杉並区民ですが、都内にも城跡の遺構ががたくさん現存してます。
中でも世田谷城は、郭、掘の構造がはっきり分るほど残されており、
私もはじめて訪れた時は大変驚きました。
世田谷城は南北朝時代に代表的な源氏の末裔である足利氏の一族、
吉良治家に築城される…とある。吉良氏とは皆さんご存知の
あの赤穂浅野家浪士が邸内に討ち入り、大石蔵之助に首級を上げられた
という…あの吉良上野介の吉良氏である。
話は脱線するが赤穂浅野氏はあの秀吉の正室、ねね殿(北の政所)の
縁の浅野氏の分家である。
ここで歴史に聡い方なら疑問を抱くであろう。
吉良氏は源氏ではなく上杉氏の縁の家では無いのか?・・・と。
上杉氏であれば、元をたどれば藤原氏の系列であるはずである。
事実、吉良氏は上杉氏と縁戚関係に有るが、実は鎌倉公方の文献に因れば、
足利持氏の時代、関東管領の上杉氏を補佐し、同氏を「継ぐ」実力者と有る。
上杉氏との血縁は薄いが、1400年代より上杉氏を補佐してきた家系ではある。
その後、下克上の世になると吉良氏は小田原、後北条氏の勢力が関東圏に
根付きだすとその傘下に入るが、豊臣秀吉の小田原攻めにより同軍に
開城することとなる。
後の江戸時代には徳川氏旗本筆頭で有る井伊氏が、本丸跡と思わしき
場所に豪徳寺を造営した。
安政の大獄の井伊直弼縁の寺でも有る。
いや~ずいぶん探しました。豪徳寺の付近と分ってはいたものの
どうせ自宅から直ぐだと思い、ろくすっぽ調べず、地図も無しで来てしまった。
上記看板が見つかった時は安堵と共に、少々がっかりした。
こんな住宅街に、まともな城郭遺構が有る訳無い・・・と。
ところがどっこい、城址公園内に入ると、いきなり堀の底ではないか。
敵の矢をかいくぐって土塁をよじ登る。
これはなかなかの縄張りである。
都内でこれだけの堀切が現存する城址は少ないであろう。
郭から城外の住宅地を望む・・・。
これは南北町時代に築かれた城址規模ではない。
地形は多いに利用されていたものの、おそらくは戦国期に大幅に
改築城されたのであろう。
典型的な平城で有るのに高さがある。明らかに戦う城の様を呈している。
ここが世田谷城の本郭である事は、近隣で一番の高所で有る事からも
まず間違い無い。
南北朝の昔、この地に吉良家の雅た住居群が軒を連ねていた事であろう。
どこか気品がある・・・。Let’s豪徳寺である!(;^_^A
所在地:東京都世田谷区豪徳寺
指定:東京都指定旧跡



