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立国は公にあらず私なり    

応神天皇が賢者を連れてきて欲しいと依頼し、百済より”王仁(わに)”が渡来。そして日本に伝わった最初の書物「論語」と「千字文(いろは歌の様な文字を習う為の教科書)」。

古来より儒教思想が伝来してたものの、日本の思想の中心は仏教が占めており朱子学が日本に伝来されると当時の最高実力者”徳川家康”により徳川家の侍講(学問の師)に林羅山を起用。

三代目将軍家光から土地を与えられ、弘文院と言う私塾を建設します。
後の五代目将軍綱吉の時に幕府直属の学校に。そこの大学頭(校長)は林家の世襲として続いていきます。

そこでは名分(朱子学が君に対する臣のあり方)を重視し、幕府が封建制を維持するものとして有用なものに。

その後、十一代将軍家斉の時に「寛政異学の禁」を出し、朱子学以外の儒学の学派も禁じます。

武士階層に朱子学が重用され、それが庶民にも伝播。

一方、「寛政異学の禁」で規制された儒学の陽明学や古学。
その内の一つ陽明学は明の儒学者”王陽明”が朱子学は形骸化していると異を唱え、論語に原点回帰。

大坂町奉行(江戸幕府の地方行政区)の与力(足軽の様な中級武士に相当)、大塩平八郎も陽明学者で、当時天保の大飢饉が発生し、一部の商人が米を買い占め米価が高騰し庶民は苦しめられる。
それでも強制的に年貢を取り立てる封建制度(朱子学)。

大塩平八郎は当時庶民の目線に立ち、立ち上がります(大塩平八郎の乱)。



この様に、儒教の流れを汲む朱子学は江戸時代の日本では
孔子の教えが歪曲しているのか解ります(先程のブログで書いた歪曲の一部紹介として書きました)。どれだけ為政者達にとって都合のいい様に解釈され、貧富の差を生んできたのか。論語から見れば、大塩平八郎の様な人が上に立ち、国を納めてくれてたなら民の心はどれだけ救われていた事でしょうね。