日曜の朝は教会に行っています。
アメリカの社会に住んでいると忘れてしまいそうな事を思い出させてもらうように行くようにしています。
元々は前の旦那の義家族が結構熱心なキリスト教徒で娘たちが生まれてから私が行かずとも、義両親がいつも娘たちを毎週日曜日と水曜日教会に連れて行ってました。
昔は私は家でいたり、仕事したりして行かなかった事が多かったです。

(教会が始まる30分ぐらい前、廊下を歩いてオウディトリアムに向かっている写真)
今日は教会の間、昔知り合いだった日本人のおばさんの事を思いだしました。
オマハで初めてこのおばさんに会ったのは多分私が19歳ぐらいのころ。
静江さんこと、スーさん。
スーさんはその当時お花屋さんを経営してて、私が生け花の花材を探していて出会った方です。
その時はそれっきりで、また2年後ぐらいにレストランでたまたま また会って交流が増えました。
このスーさんにはお礼を言って言い足りないぐらい、お世話になりました。
日本食が手にはいずらいころ、日本食を作って私や娘を招待して食べさせてくれたり、私が困っているときには娘ともども家に何週間も泊めてくれたりしました。
”日本の家族が近くにいないから、私が。。。” みたいな人でした。
そのスーさんも若いころ困った事があって、手を指し伸ばしてくれた人がいてとても感謝したし、してるそうです。
映画みたいですが、私にも何の見返りもなくその代わり、”他に困っている人がいたら手伝ってあげてね”って言ってました。
なんでも スーさんの実家はお寺らしく、お父様がご住職様だと言っていました。日本で育っている時(戦時中)は小僧さんたちも沢山お寺に住んでいたみたいです。
そのスーさんも実は教会に行っていたのです、しかもスーさんのお父様公認で。
始はスーさんも教会に行っている事をお父様に言うのが怖かったらしいのですが、思い切って言ってみると、全然大丈夫だったみたいです。ご住職が言われたことは
”世の中にそんなにいっぱい神様がいると思うのか?”といわれたそうです。
長くなりましたが、そんなスーさんの話を今日は考えながら教会に参列してました。
教えている事って自分がいつも聞きながら育ったような事なんですよね。
教え方は違いますけどね。
今日もいい話を聞きました。
スーさんに最後に会ったのは11年前、8年ほど前に亡くなりました。
ありがとうって最後にも一度言いたかったなって思いました。