2月22日は2ちゃんねるの日である。候補は他に5月30日の開設日もあるが一応2が三つ並んでいるからこの日を俺は2ちゃんねるの日だと考えている。忘れもしない2004年の2月22日に俺は初めて2ちゃんねるに書きこみをしたのだがよく考えたらあれは超えてはいけない一線だったのかもしれない。

・職場体験
バイト中にいつものように起こられない程度の放心状態になっていたらふと中学校の職場体験を思い出した。あの時俺はとあるヤンキーと抗争中であり職場体験云々を考えられるほど暇ではなかったが一応市役所にいった。他の奴らが音響やガソリンスタンドでチンタラしている一方で俺は役所内で公用車の洗車の機会を逸し職場の方々と特に打ち解けもせずお昼休みには外に適当に散歩にでかけてお茶を濁していた。今とまったくかわっていないのである。大学入ってから一気に塞ぎこむようになったと思っていたらこの頃からすでに社会性に欠陥があったのである。

・田舎の隅の懲りない面々
中学校時代俺の周りには俺より更に逸脱した男達が集まっていた。今のところ消息がつかめているのはひとにぎりだが卒業式で別れてから六年以上経過し俺も彼らも激動の人生を送っていたらしい。盟友T田Kは女装趣味に目覚めてしまったし、かれこれ15年も腐れ縁なキョーはバイクと派遣業務に勤しんでいる。そして明るくサブカル趣味に精通し俺とはあまりソリが合わなかったはずのK吾という男は高校時代にリストカットを発症しこの世に対し垂直レベルで構える男になってしまっていた。当時俺はK吾が一番一般人(変態キモオタの対義語)に更生できる可能性が高い男だとおもっていた。どうしてこうなったんだK吾。お前はヤンキーにいじめられていたといっていたが俺よりよっぽど打ち解けていたじゃないか。なにがあったんだ、俺は悲しいぞ。

・夢のチャック
幼稚園年長組の担任教師は変な教育方針を持っていた。今思えばしょぼい距離の職務室に日直の児童をいかせて「失礼しまーす!」と叫ばせるのである。聞こえなかった場合はやり直しでそれを何回も繰り返させる。そして式や鼓笛隊の練習でちょっとでもやる気のない奴がいたらビンタである。俺は鼓笛隊は真剣に頑張っていたが今もそうだが式の整列訓練でどうしてもフニャッとしてしまうのでビシバシ殴られた。鼻血が出やすい体質なので殴られて痛いという感情より鼻血が吹き出さないかどうかが心配だった。そんな先生が帰りの会でよく昨晩見た夢の話をしてくれた。今思えばシモネタまみれで俺は怪人にいつもパンツを奪われる損すぎる役割だったのだが面白かったので一時期それを目当てに幼稚園にいっていたこともある。ただこの話の前に帰りの会というものの悪口暴露大会があるのでこれを早めに切り上げる必要があった。自意識過剰な女「〇〇くんが私のことブスっていいました~」リーダー格の男子「そんなこといってませーん!デロちゃうんか(方言)」というループ芸を毎日毎日繰り返していたのである。

・結局のところ
公務員試験改革で官庁訪問リストが今年から変わるはずなのだがどういうふうになるのかわからない。とりあえず財務局が独立して抜けるのは確かだが防衛関連がどうなっているのかわからない。四国の場合あってもあそこの基地ぐらいしか採用募集してくれなさそうだし枠は多くて3つか。

・一年
公務員勉強はじめてからついに一年が経ってしまった。なんか空気のような一年だった。充実感というものが感じられない。