【沈みかける船の認識はあるのか】


たとえばの話
船が航海中に
・嵐に遭遇した
・エンジンが故障した
・火災にあった
・氷山と衝突した
などが起きて
”もしで船が沈みはじめたら
船長や乗組員はいったいどうする?”


その沈みかけている船に
ありとあらゆる対策をとって、
「旅客と乗組員とが生き延びる」
というすべを取るであろう
ありとあらゆる手段を講じて
船を守るための方策をとるであろう
”乗船客、船員の安全確保に全勢力を懸ける”
それは 正しい姿であると私は思う


さて
過日、知人が住んでいる町の話を聞いた
”町としては 赤字経営”
が続いているという
一方で その町の人たちの考えでは
その赤字が続いている町の役場に勤務することは
”とても恵まれている”
のだそうだ


私はこの話を聞いて
全くその真意が理解できないでいる


これが仮に一企業であったとしたなら
赤字経営が続いた場合、
その状態からの再建のため
・人員削減
・残った従業員の給与削減
・事業の集中と選択
・経費節減につながるありとあらゆる対策
など
企業自体が沈まないように
数年単位の再建計画を立てて
全員一丸となって
取り組むのが常である
それが
その企業を支援するステークホルダー、
カスタマーに対しての企業としての使命なのである


そう考えると
知人の町の場合、
ステークホルダー、カスタマーはいったい誰なのか?
町の住民、納税者ではないのか!
その納税者に対して約束は果たせているのか?
カスタマーは満足しているのか?
その約束が果たせなかった場合
責任はだれが取るのか?
など 理解できないことが多い


そして、
その赤字経営の状態の町役場に勤めるのが、
その地域では
”恵まれている”
という見解についてであるが
”赤字経営の町役場の職員になる、職員でいる”
ということは
”再建のための覚悟がいるという事”
ではないのか!


変化を拒んで、
従来通りのやり方に固持して、
赤字経営の町役場で
今まで通りの給与を与えられていて、
それで
”恵まれている”というのか?
町が借金で沈んでいっても、
町役場に勤務する職員は
”自分の給料が確保されているから”
という考え方が良しとされるのか?
それは その役場に勤務する職員共通の
とても利己的な発想ではないのか!


沈んじゃったらおしまいでしょ?
記憶に新しい財政再生団体のことを
「他山の石」
とする心がけを持った人は
その町の職員にはいない ということなのか?
そういう認識を持った人材が皆無なのか?


断片的な情報のみなので
正確な状況はわからないが
その町の話を聞く限りでは
”緊迫感が全く感じない”


これが地方にいる人たちの感覚 なのか!


しかも町としては
「単年度経営を維持」
「根本的なやり方の改革をしない」
「破綻してしまう認識がない」
という なんとも聞いていてお粗末にしか思えない


沈みゆく船の 乗組員で有れば
命がけで状態を立て直す志が根底に存在するので
やっていけるのであるはず

成果が出ないので有れば
それだけの
”やる気を持った人間”
がそちらの町役場には集まっていない
という事ではないのか?

それが”できていない”のだから
「赤字が続いている」
「過疎化が進んでいる」
のでしょ?


真の意味で
「恵まれている状態」
をどのように定義するのか?


それを定義して
「それに向かって邁進すること」
それが
「今一番あなたの町で必要なこと」
ではないのか


FourTrees の樹憶、樹録




どんな環境であっても
賢明に命をつなごうとするのがするのが
生命だと思う


FourTrees の樹憶、樹録



【工業化社会 の弊害】


工業化社会 の世界に住む人々、
つまり
「”人工のもの”に囲まれた人々」
に 蔓延している考え方、
それは
「”自然のもの” を獲得する権利がある」
と 考えていること


そして
「”自然のもの”を カネ を出して入手をする」
しかも ほしいものであれば
”遠方から輸送してまでも得よう”
としているのである


工業化の視点では
”自然のもの”の存在
であることを ほとんど意識せずに、
工業化のためには、
”それを入手する権利がある”
と思いこんで
欲しいものを入手する。


そして、
”自然のもの”を提供する側も
工業化で満たされている地域への
「”自然のもの”の出荷」
を 容認をしている


現代人の多くの人々が
「この行動を無意識で正しい」 としているのではあるまいか


需要と供給 という経済視点だと
”正”と考えることになるのかな
でもこの姿は、
「この考え方のままでいいのであろうか?」


このところの私の疑問である


FourTrees の樹憶、樹録

【simple】
現代社会では電気を使うのが前提の仕組みとなっている

その 電気は(水力を別として)、
熱を源にしていて
石炭・石油の燃焼、原子力、地熱と様々だが
それらの基本は
”熱で得た蒸気で羽根車(タービン)を回す”
熱源を利用した発電の原理は そのほとんどが
”蒸気機関”
なのだ


”液体を熱すると気体になる”
このきわめて
”simple な原理”



さて 樹木を眺めていると気がつかないがそこでは
「根が吸い上げた 水 と
吸収した 二酸化炭素から
糖を作り出す」
ということを延々と地道に続けている

そして 余分になった 酸素 を放出する
樹木にとってそれは
「simple なこと」


樹木が酸素を作り出す ことを
ヒトはほとんど意識していない


そんな樹木たちの存在、
「simple は すごい」
と思う



FourTrees の樹憶、樹録

【 slow 】


まわりを意識してあわせることを続けていると

無意識に走っている自分にあまり気がつかない


都会を出て自然の中で過ごすと

自身のペースの異様さと

それがリセットされ穏やかになってゆく自分

樹がつくのである


樹々を眺めていて想うのは

生長の度合いがあまり分からないこと、だがそれは

樹が育つ速さを ヒトの尺度からみて

slow

と感じているだけ

樹自身の尺度で見ると

樹は全力で生きようと 走っているのだ


そんなことに樹づかされるのも

自然の中で過ごしたとき


ヒトの尺度というのも ヒトが勝手に決めたもの


案外 slow は fast なんだな



FourTrees の樹憶、樹録




※ かつて ”チームリーダー” で感じたこと の樹憶 ※



【指導者になったら】

人の上に立つようなことが
あったことを想定して述べます。


不思議なことに、
自分が駆け出しの社会人であった頃に
”ろくに仕事も出来なかったこと”
など忘れてしまい、
上に立った途端、部下や目下の人たちに対して
「それはいけない」
「お前のやり方は駄目だ」
と言ってしまう場合があります。


これは、
上に立つ人間(管理者)に多いことで、
その本人にとっては
^現場の第一線で働くことはもうない” し、
”現場を離れているので自分が未熟でも
その欠点をさらす心配はもうない”
という状況なので、

すると、
「ああしろ、こうしろ」
と偉そうにまわりに言いはじめたりします。


また、
上に立つ側になった途端、
(自分が当事者でなくなっているので)
部下やまわりにいる人に対する要求水準が、
(ときには自分自身が到達していたレベルを
はるかに越えた水準まで)
ぐんと引き上げられたりして、
それをまわりに強制するようになったりします。
自分のことを棚に上げておいて、
というところでしょう。


これは、
「上に立つ人間全て」
にいえる傾向です。


是非知っておいていただき、
上の立場になったとき、
「充分注意する必要がある」
と 私は思っています