7年前に書いた記事を久しぶりに読み返してみたら、意外といいこと書いてた
今年に入ってから、なんとなく死と再生を司る冥王星の影響を受けているのかもと思いながら、自分の働き方、もっと言うと大きなくくりでの生き方とかについて考えていた。
そんな時に、この記事を見つけて…。
2013年2月に初めて身内を見送るという経験をして以来、何人か近い人を見送った。
大好きなおばあちゃんも。
そして改めて死について考えてみた。
初めて人の死を身近に感じたのは、小学校1年生の時に仲のよかったお友達を交通事故で亡くした時。
悲しかったという感情はあまり覚えていない。
毎晩寝る前にその子に「いつも見守ってくれてありがとう」と声をかけて眠ったし、毎朝、登校中にすれ違う彼女のお父さんに毎朝手を振った。
小学校高学年になると、なんか恥ずかしくて、会いたくないな~なんて日もあったけれど💦
お誕生日と命日にはお墓に会いに行った。
毎晩話しかけたのも、お父さんに手を振っていたのも、ただ純粋にその子に会いたかったのかもしれない。肉体はなくても、繋がっているのかもしれない。
大人になった今、偶然仕事を通して彼女のお父さんと再会し、時々顔を合わせているけれど、そこに悲しみはない。
そんなことを思っていたら、彼女のお父さんからプレゼントが🎁
亡くなった日の前日に描いてくれた私の絵
整理していたら出てきた、と手紙と一緒にコピーをわざわざ届けてくれた。自分が書いた手紙も読んだら泣いてしまうんじゃないかと思ったけれど、子どもらしい純粋な気持ちが綴られていて、悲しいという気持ちではなく旅立ちというか、新しい世界へ思いを馳せているようなそんな印象を受けた。
大人になった自分にはない感覚。
というよりも、忘れていた純粋に相手を想う気持ち
昔は死というものが怖くて、その時感じている幸せな気持ちがずっーと続くように祈っていた。
みんなが元気にいられるように毎日祈ってた。
大人になった今、死に対する感覚は変わった。
もしまだ死ぬ時じゃないなら、きっと神様が助けてくれる。
死ぬ時がきたら、それは死を受け入れる時なんだと思っている。
遅かれ早かれみんなに訪れる。
でもね、コロナウイルスの感染者や死者が増えていく現状を目の当たりにするとやはり恐怖を感じるし、大切な人を守りたいと思うからこそ、自分勝手な人たちの行動を見聞きすると憤りを感じる。
小さな赤ちゃんが感染していると聞くと心が痛む。
1日も早く回復することを願うと同時に、感染がこれ以上広がらないを祈る。
自分ができることをしよう。
あなたはわたし
わたしはあなた
今目の前で起こっていることは、自分のこと。
わたしの大切な人を守るために、誰かの大切な人を守るために行動したい。
わたしの死生観に影響を与えてくれた最初のストーリーからの学び