![☆心のコニュミケーションルーム☆](https://stat.ameba.jp/user_images/20110707/20/four-clover39/73/38/j/t02200165_0640048011335920423.jpg?caw=800)
温かい日と思ったら,急に冷え込んできたり。
気候が変わりやすいこのごろですので,みなさまもお身体にはくれぐれもご自愛下さいね。
いつもペタや素敵なコメントをいただき本当にありがとうございます。
なかなか更新できないときでも,みなさまからたくさんのエネルギーをいただくことができて,感謝の気持ちでいっぱいです。
最近は,カウンセリングのときに子どもさんと図書館に行くこともあり,その度に私も一緒に本を借りています。
前回ご紹介させていただいた日野原さんの本も,その一つです。
今日は,以前にも私が持っている本としてご紹介させていただいたレイチェル・カーソンの,伝記(『科学者レイチェル・カーソン 小手毬るい著 理論社)をご紹介させていただきたいと思います。
レイチェル・カーソンは,子どものころから自然と読書とものを書くことが大好きな少女でした。
作家になるという夢を持ったレイチェルにとって,お友達と楽しくすごすより,一人で本を読むのが好きでした。
レイチェルがいつもベッドのそばに置いて読んでいたのは,『かわうそタルカ』と『鮭サラー』というウィリアムソンの動物をありのままに描いた作品でした。
その後,大学では新聞部に入り,暇さえあれば詩を書いて雑誌に投稿し,だれもがレイチェルは将来,作家になると思っていました。
もちろんレイチェル自身も。
レイチェルが大学2年生になったとき,生物学の授業を取ることになり,すっかり生物学のとりこになりました。
そして,作家か科学者か悩みぬいた末,とうとう科学者になることを決めるのです。
ですが,科学者への道は平坦ではありませんでした。
家にお金がなく,アルバイトを増やし卒業が遠のくばかり。
やっとの思いで大学院で修士号を取り,大学で講師を勤めながら,研究をする生活を始めましたが,父親が亡くなり,家計を支えなくてはならなくなったのです。
そのため大学の講師の仕事を諦め,もっと高収入の仕事を探すことになり,漁業局のアルバイトに応募しました。
それまで,女性の採用などありませんでしたが,ちょうどそのころ漁業局では「海の中のロマンス」という題名のラジオ番組を企画していて,その台本を書く人を探していました。
面接で「あなたは文章を書くのは好きですか」と聞かれて,目を輝かせて答えました。
「もちろんです。大好きです。子供の頃からずっと書くことが好きでした」
こうして,レイチェルは台本作家として漁業局にアルバイトで雇われることになりました。
こうしているうちに,姉が肺炎で亡くなり,姉の夫も数年前になくなっていたことから,姉の2人の子どもを育てるためにも正職員の仕事に就かなくてはなりませんでした。
漁業局の水産生物学者採用のため,公務員試験を受け,その年合格した人のなかで女性はレイチェルただひとりでした。
その後,レイチェルの書いた台本が評判を呼び,後の傑作『潮風の下で』『われらをめぐる海』『沈黙の春』などが世にでることになったのです。
それまでも,漁業局の仕事をしながらの執筆活動は身を削るような日々でしたが,レイチェルは諦めなかったのです。
レイチェルのお話を読んで,
自分の望む方向にまっすぐに進む道があったわけではなかったけれど,
レイチェルが小さいころから憧れ続けた
ものを書くこと,それも大好きな自然に関すること
最終的には科学者としての視点を持った作家という道を,
険しい岩山を身を削りながら乗り越え,実現することができたのです。
そして,それは自然の尊さと大切さを世界中の人々に伝えることでもありました。
自分の興味を持っていたり,大好きなことを仕事にすること。
そのためには,
自分にできる小さなことから日々少しずつ積み重ねていくこと,
そして決して諦めないこと
をレイチェルから受け取りました。
そして。
それが,1人でも多くの方に役に立つこと
であるのなら,どんなに素晴らしいことでしょう。
長くなりましたが,今日もここまでお付き合いいただき,本当にありがとうございました。
みなさまとの出逢いに心から感謝しています
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