大学の後輩に、講談師の神田紅純さんがいます。

彼女の高座を聴くたび、「間」に持っていかれます。

 

張扇がパン、と鳴る。

一拍、置く。

その沈黙のあいだに、聴き手の想像がふくらみ、次の一句が深く刺さる。

語りそのものより、語りと語りの「あいだ」に、講談の妙がある。

 

一定のリズムに身をゆだねると、人はいつのまにか、心をほどいている。

子守唄も、波の音も、みんなそう。

 

この「リズムがつくる安心」を、わたしは律感(りつかん)と呼んでいます。

施術が目指すのも、まさにこの領域です。

 

 

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毎年この日になると、浅田次郎さんの『終わらざる夏』を思い出します。

 

戦争は八月十五日に終わった。

教科書にはそう書いてあります。

 

けれど北の果て、千島列島の突端にある占守島(しゅむしゅとう)では、玉音放送のあとに戦いが始まりました。

 

召集されたのは、英語がわかるという、ただそれだけの理由で四十を過ぎてから引っぱり出された編集者。

軍医。

 

もう戦わなくていいはずだった人たち。

年齢も、職も、事情も違う男たちが、日本のいちばん北の島に集められていきます。

 

読み進めるうちに気づくのです。

この人たちが守ろうとしていたのは、国という大きなものであると同時に、もっと小さくて、もっと確かなものだったと。

 

妻の顔。

疎開させた息子の顔。

帰りを待っている、たった一人の誰か。

 

戦争の物語のはずなのに、いつのまにか、誰かの帰りを待つ人の物語を読んでいる気持ちになります。

 

八月十五日で、戦争は終わりました。
けれどあの夏は、終わらなかった。

終われなかった人たちがいた。

 

八十一年。

 

今日、隣にいる人の体温を、あたりまえだと思わずにいたい。

手を伸ばせば届くところに誰かがいるということ。

ふれられること、ふれてもらえること。

 

それがどれほどのことなのか、この本はいつも静かに教えてくれます。

夏の空は、あの日と同じ青さで。

朝、いちばんに作り置きしたクエン酸水を一杯飲むのが、長年の習慣です。

 

ゆっくりと喉を通っていくあの感覚で、体がひとつ、目を覚ます。

カラダ全身にさらさらした血液が流れていって体温が上昇する感覚。

 

派手な健康法ではありません。

でも、続けているうちに、これが自分にとっての「一日の始まりの合図」になりました。

 

大切なのは、何をするかより、自分をいたわる小さな習慣を、ひとつ持つこと。

じんわりとしたぬくもり——温感は、こんな日常の片隅にもあります。

あなたの「朝の合図」は、何ですか。

 

 

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