映画『栄光のバックホーム』を観ました。
結末は分かっていたので、物語が始まったその瞬間から、涙が止まりませんでした。

 

スポーツ映画であり、実話であり、そして病気と向き合う物語。
この三つが重なった時点で、感動は避けられないと分かっていたはずなのに、実際に心を打たれたのは、もっと根源的な部分でした。

 

試合の結果や記録、勝ち負け以上に描かれていたのは、「生きる」ということそのもの。
必死に前を向き、仲間と時間を重ね、限られた命を全力で生き抜こうとする姿でした。

観終わったあと、しばらく席を立てませんでした。
胸がいっぱいで、言葉が出てこない。
ただ、ぼんやりとスクリーンの余韻に包まれながら、一つの事実だけが心に残っていました。

 

この世界には、生きたくても生きられなかった人がいる。

夢や希望を抱えたまま、「まだ生きたい」と願いながら旅立っていった人がいるということ。

 

そう思うと、今こうして息をしていること、今日も目が覚めて、当たり前のように一日を過ごせていることが、どれほど尊いことなのかを突きつけられます。

私たちは、「生きている」というだけで、すでに多くのものを与えられている存在なのだと。

では、その命をどう使えばいいのだろう。
どう生きれば、彼らに恥じない生き方になるのだろう。

 

この映画は、その答えを分かりやすく示したり、感動を押しつけてくることはありません。
ただ静かに、深く、胸の奥に問いを残していくだけです。

だからこそ、観終わったあとも余韻が消えず、自分の生き方を、そっと見つめ直したくなる。

忘れてはいけない大切なことを、確かに思い出させてくれた一本でした。

大阪で夜の喧騒の中にそびえる通天閣は何度も見てきましたが、朝の通天閣を眺められる機会は意外と少ないものです。
まだ街が完全に目を覚ます前の静けさの中に立つその姿は、夜とはまったく違う表情をしていました。

いつもはネオンをまとい、活気ある大阪の象徴として輝く通天閣。
でも、朝の柔らかな光の中に佇む姿は、どこか素朴で、まるで長年この街を見守ってきた“おじいちゃん”のような優しさがあります。

ネオンの通天閣ももちろん魅力的ですが、朝の通天閣もいい。


静かで、穏やかで、ほんの少しセンチメンタル。
こんな顔もあったんだと、思わず立ち止まってしまうほどでした。

一日の始まりに、こんな穏やかな通天閣を見られたことが、なんだか小さなご褒美のように感じました。
忙しい日常の中でも、ふと立ち止まる瞬間を大切にしたいですね。

36年前——。

新橋演舞場で関わった歌舞伎『牡丹燈籠』。

孝夫さんと勘九郎さんの、毎日違う掛け合いに胸が躍りました🎭✨

 

稽古場の空気、緊張感、そして舞台の灯り。

あの日の光景はいまでも鮮明に思い出します。

 

孝夫さんと玉三郎さんの絡みは、まるで絵巻のように美しく、

息を呑むほどの瞬間の連続でした。

 

そして稽古初日前には、必ず於岩稲荷へお参り⛩️

『牡丹燈籠』に携わる者にとって欠かせない大切な慣わし。

これを怠ると、上演中に何かが起こる——

そんな言い伝えが、いまも受け継がれています。

 

今日は36年ぶりの参拝。

あの頃の仲間たちを想いながら、静かに手を合わせました。

 

お岩さん、どうぞ安らかにお休みください🙏