シェイクスピア 『ヘンリー四世 第一部』 (シェイクスピアの史劇4) | 東海雜記

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                    フォルスタッフ(『ヘンリー四世 第一部』第三幕第三場)
『ヘンリー四世 第一部』系図 ←クリックすると画像が拡大します


シェイクスピア史劇の中で最も有名なのは『リチャード三世』でしょう。歴史知識がなくても楽しめる独立した作品として、初期作品の傑作に数えられています。タイトルヒーローであるリチャードの圧倒的な存在感、魅力が多くの読者をひきつけます。ローレンス・オリヴィエも自ら製作・監督・主演で映画化しました。(1955年)


その『リチャード三世』についで人気が高いのがこの『ヘンリー四世 第一部』および『第二部』

これまでずっと王侯貴族、聖職者、議会、宮廷、戦争といった歴史の表層部を取り上げ続けてきたシェイクスピア。この『ヘンリー四世』で初めて庶民の世界を描いています。



『リチャード二世』で従兄弟から王冠を簒奪したヘンリー四世。リチャードに非があるとはいえ、力で奪い取った王権は誠に不安定なものでした。前作ではあれほど若々しく力にあふれていた王。それが数年経ただけの今作では、不安定な王座にいるためか、弱弱しく年老いて見えます。



彼を不安がらせているのは二つ。


一つは前回協力してくれた大貴族(豪族。日本で言えば大名みたいなものでしょうか)。彼らに妥協をせねばならぬこと。それが彼らの増長、不満を招いていること。

北部の大貴族、ノーサンバランド伯の嫡子ヘンリー・パーシーホットスパー(熱い拍車)と通称される*ほど勇猛な武人であり、癇癪持ちでもありました。

スコットランド軍を打ち破ったホット・スパーは捕虜の扱いをめぐって王と対立、不満を持ちます。そして叔父にそそのかされ、不満を持つ貴族やスコットランド、ウェールズと計らって王に対して兵をあげます。


もう一つは皇太子であるハル王子(後のヘンリー5世)の放蕩。

『リチャード二世』でも言及されておりましたが、ハル王子はロンドンの居酒屋に入り浸り、悪い仲間と付き合っています。その悪友の代表が、でぶっちょで飲んだくれの騎士、サー・ジョン・フォルスタッフ
このフォルスタッフ、冒頭のセリフでお分かりのように実におちゃらけた人物。飲んだくれで嘘つきで、女たらしで卑怯者。口は達者だが腕はからきし。ハルとつるんでいるのも彼が皇太子、未来の王だからというのがそもそものきっかけだったでしょう。
しかしこの劇で一番魅力的なのはこのフォルスタッフなのです。戦乱の世の中にあって実にたくましく、そして何より陽気に生きていく様は見ていて飽きません。フォルスタッフとハル、またはフォルスタッフと取り巻き連中との掛け合いは実にユーモラス。シェイクスピアも言葉を駆使し、思う存分に面白がらせてくれます。

女王エリザベス2世もフォルスタッフが大のお気に入りで、彼女のリクエストでフォルスタッフが主人公の喜劇『ウィンザーの陽気な女房たち』が書かれた事は以前申しました。


面白い、といえばホットスパーとスコットランド貴族のダグラス、ウェールズのグレンダウワーとの掛け合いもなかなかです。反乱軍の首脳会議でのことですが、それぞれがお国なまり丸出し。特にグレンダワーは迷信深い土豪として描かれ、若く高慢なホットスパーにからかわれます。それでも彼はホットスパーの武勇と人柄を愛しているので怒りはしません。

ちょうどハルがフォルスタッフをからかうように、そしてフォルスタッフがハルを愛しているように。

まるで鏡像のようにシュールズベリーの野営地とロンドンの下町、勇猛な軍議と猥雑なおしゃべりは響きあっています。



王の二つの心配事の根っこは一つ。先王の王位を奪い、死に至らしめた罪とそれに対する恐怖です。

それゆえに貴族たちは争い、皇太子は放蕩にふけるのだと。

わが国で言えば足利尊氏の立場に似ていましょうか。尊氏も後醍醐天皇に罪の意識を感じ、守護大名の自我の張り合い、争いに疲れ、出家を望んだことも一度や二度ではなかったと言います。嫡子義詮(よしあきら)は放蕩ではありませんでしたが病弱で、これも尊氏の心配の種でした。


話を戻しまして。
王はハル王子にこう言っております。


わしが知らぬ間に神意にそむく行為をなしたればこそ、

神は、人知におよばぬ裁きにより、わしの血を分けた

そなたを懲罰の鞭としてこの身にくだされたものか。

(第三幕第2場)


事実シェイクスピアはハル王子の放蕩をランカスター家(ヘンリー4世の属する家系)の贖罪として描いています。

ハルも自身の放蕩を「後の栄光をいっそう際立たせるためにあえて身をやつす」と言っています。

本当は賢いんだけどあえてバカのふりをしている、というわけです。一昔(あるいはふた昔か)前の信長の描き方に似ていますね。

そしてこのハル王子を中心として、貴族の世界と庶民の世界、ホットスパーとフォルスタッフが結びついていきます。



劇後半はパーシー一族の反乱、シュールズベリーの戦い。この戦いでハルはホットスパーを打ち破り、武名をとどろかせるのです。

前作『リチャード二世』でリチャード2世とヘンリー4世が運命を逆転させたように、今回はホットスパーが下降しハルが上昇してゆきます。

この二人の一騎打ちの場に居合わせたのがハルの部下として戦場に引っ張り出されたフォルスタッフ。しかし武具入れに酒瓶を入れちゃってるようなこのじいさんに武勇は期待できません。戦に恐れをなしてさっさと死んだふりを決め込みます。実に愉快なじいさんです。


さらばだ、ジャック! おまえ以上の人物を失っても

これ以上寂しい思いはしなかったろう。

(第5幕第4場)


これはフォルスタッフを死んだと早合点したハルのセリフ。後の栄光を際立たせるため、なんていっておきながら、やはり彼もこの老人を愛していたんだなあ、としみじみさせます。

後の二人の関係(『第二部』で描かれます)を思うと微妙なセリフでもありますが。


こうして力で奪った王座は力で維持されました。ハルは武名を高め、フォルスタッフも恩賞にあずかって、めでたしめでたし、といきたいのですが、これはあくまで『第一部』。

ホットスパーの父ノーサンバランドは病気で、グレンダワーは占いで不吉と出たため反乱に加わらなかったため、二人ともいまだ健在。不満分子はあちこちにいます。

そしてハルとフォルスタッフの関係も未だ決着がつかぬまま。ハルは貴族世界に戻るのか、それとも庶民世界でまだ放蕩にふけるのか。



全ては『第二部』に引き継がれます。





◆記事中のセリフは

ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志

ヘンリー四世 第一部 シェイクスピア全集 〔15〕 白水Uブックス

より引用しました。◆



* 父ノーサンバランド伯の名前もヘンリー・パーシー。皆さんもウンザリしているかもしれませんが、同じ名前がやたら多い。王もヘンリー、皇太子もヘンリー。ですからホット・スパーとかハル王子など通称の方が通りがよく、分かりやすいのです。