- 今日だけは、天にまします神よ、
- ああ、今日だけは、父が王冠を手に入れるために犯した罪を
- 忘れたまえ。
- ヘンリー5世(小田島雄志訳『ヘンリー5世』 第4幕第1場)
シェイクスピア(1564-1616)の史劇を読むにあたっては、やはり当時の歴史がわかっていたほうが面白いでしょう。
その点史劇が独立した文学作品としての評価が低いのはやむをえないかもしれません。唯一『リチャード3世』が主人公の圧倒的な存在感ゆえに、史劇の中でも独立して広く読まれております。新潮文庫や角川文庫でも読むことができます。また『ヘンリー4世 第1部』『第2部』でもフォルスタッフというなんとも魅力的なキャラクタが出てきまして、これまた人気があります。こちらは岩波文庫に収められています。このフォルスタッフ、シェイクスピア当時は絶大な人気があって、女王エリザベス(1世:在位1558-1603)もことの他お気に入りだったとか。彼女のリクエストに答えてフォルスタッフが出てくる劇『ウィンザーの陽気な女房たち』が書かれたそうです。
さてここでもう一度史劇を、今度は制作年代順に並べて見ます。
ヘンリー6世 第2部
ヘンリー6世 第3部
ヘンリー6世 第1部
リチャード3世
ロミオとジュリエット
リチャード2世
夏の夜の夢
ジョン王
ヴェニスの商人
ヘンリー4世 第1部
ヘンリー4世 第2部
ウィンザーの陽気な女房たち
ヘンリー5世
ジュリアス・シーザー
ヘンリー8世
その他有名な作品も参考に入れておきました。『ジュリアス・シーザー』以降はもう有名な作品だらけですので割愛。『ヘンリー8世』が最後の作品となります。
もっとも制作年代は諸説入り乱れており、絶対的なものではありません。しかし現在もっともポピュラーな説だと『ヘンリー6世』が最初の作品。それも百年戦争の末期、あのジャンヌ・ダルクも出てくる『第1部』より、薔薇戦争を描いた『第2部』『第3部』が先らしいのです。
薔薇戦争(Wars of the Roses:1455-1485)とはイングランドで起こった王位をめぐる内乱のこと。その優雅な名前*に反して、悲惨な戦いが多く、封建貴族の多くが没落。この後成立したテューダー朝が絶対王政を確立できたのもこの内乱で封建貴族、豪族的大領主が没落したためといわれています。
なぜこの悲惨な内乱が起きたのか。戦争のたびに繰り返されるこの問いにシェイクスピアは、というより当時の知識人はそれなりの答えを見つけ出しました。
プランタジネット朝の正統であるリチャード2世(1377-99)が暗愚であるため、傍系のランカスター家のヘンリー4世(1399-1413)が王位簒奪。そしてその息子5世王(1413-22)のつかの間の栄光を経て6世王の時代にはフランスから撤退。幼君を取り巻く周囲の権力闘争にこれもプランタジネット傍系のヨーク家が王位を要求し、薔薇戦争が起こります。復讐が復讐を呼び、血で血を洗う内乱で王位はヘンリー6世(ランカスター家:1423-60)からエドワード4世(ヨーク家:1460-70)、再びヘンリー6世(70-71)、エドワード4世(71-83)とめまぐるしく変わります。いったんはヨーク家が勝利しますが、その天下も4世の弟リチャード3世(1483-85)がランカスター分家のヘンリー・テューダーに破れ終わります。このヘンリー・テューダーがエドワード4世の娘エリザベスと結婚し、ヘンリー7世(1485-1509)として即位したことで、長きに渡り争った両家が結ばれ、平和が訪れたのです。
このため簒奪を招いたリチャード2世、内乱を招いたヘンリー6世、そしてテューダー朝の直接の敵リチャード3世は暗愚で気弱であるか、賢いが腹黒い人物として描かれています。
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ランカスターの王位簒奪が原罪として内乱が起こり、そしてランカスター・ヨーク両家の合体であるテューダー朝により再び王位が正統に戻ったとする解釈です。もっともこれはシェイクスピア独自の解釈ではなく、当時の年代記作者たちも唱えていたようです。
「テューダー朝神話」といわれるこの考え方、これをシェイクスピアは史劇(『ヘンリー8世』は除く)で描きたかったのだ、とする考えが古くからありました。
最近は反論が多く出てきています。というよりもそちらのほうが主流です。シェイクスピア当時には「テューダー朝神話」なる考えはなかったと。
しかしリチャード(2世と3世)の扱いを見ればやはりそういった思想はあったのではないか、と思います。それも先ほど申しましたようにこの考えはシェイクスピアのオリジナルではない。リチャード3世のキャラクタはテューダー朝の年代記作者たちによって作られたものであることは多くの歴史家が証明しております。前にも申しましたがシェイクスピアはオリジナルの題材がほとんどない(37作品中4つ)。史劇もホリシェンドの年代記をその主要なソースとして、他の先行する年代記や歴史劇を参考にした模様です。もちろん、シェイクスピアのが一番面白いのですけれどね。
さらにテューダー朝が断絶し、ステュアート朝が成立、スコットランド女王メアリ・ステュアートの息子、ジェームズ1世(1603-25)が即位し、イングランド・スコットランド連合王国になると、シェイクスピアは『マクベス』を書いています。スコットランド王家の歴史を題材にした悲劇です。
シェイクスピアが当時の王家におもねっているかどうか、それはわかりません。が少なくとも彼には歴史に対する並々ならぬ興味があり、歴史を通して現代(彼が生きていた時代の、ですが)を見つめようとしていたのではないかと思います。
*薔薇戦争の名前の由来
ばらせんそう ―せんさう 【薔薇戦争】
1455~85年にイギリスで起こった王位争奪の内乱。記章が赤ばらのランカスター家と白ばらのヨーク家に封建貴族が二分して争い、前者が勝ってヘンリー七世がチューダー朝を開いた。結果的には封建貴族が疲弊し王権が強化された。
三省堂提供「大辞林 第二版」より(傍線引用者)
ランカスター家が赤薔薇、ヨーク家が白薔薇を紋章に入れていたためという説が昔から広く流布していますがこれは誤りです。
さすが大辞林だなあ。
- ウィリアム シェイクスピア, William Shakespeare, 福田 恒存
- リチャード三世
- ウィリアム シェイクスピア, William Shakespeare, 三神 勲
- リチャード三世
- シェイクスピア, Shakespeare, 中野 好夫
- ヘンリー四世〈第2部〉