日中韓の未来  勝『氷川清話』と福沢「脱亜論」 | 東海雜記

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歴史は繰り返す。今こそ歴史に学ぶときです!


中国で反日デモがやまず、韓国もまた中国、北朝鮮よりの外交になってきて、東アジアでの日本の立場は誠に難しいものとなってきました。
日本は、日本人は今真価を問われています。
目先の利益に流され、今現在のみの安泰を求めて問題を先送りにしてきたツケを払うときがやってきたと思います。
私個人の感情では、教科書の記述にしろ、靖国神社参拝にしろ、
「日本国内のこと。あれこれ言うのはやめてくれ。ならばあなた方の国の歴史教育、教科書、報道はどうなんです?」
と突っぱねたいところ。ですが、過去の日本のとった行動を考えればあれこれ言われるのも仕方ありません。
日本は敗戦国なのですから。「終戦」という言葉で置き換えるなんてごまかしはやめましょう。戦争に負けた国があれこれ干渉されるのは歴史上めずらしいことではありません。

もちろん、過去日本がアジア諸国に対して犯した罪も反省しなければなりません。しかし、国家の罪とはなんでしょうか? 過去は清算できるものなんでしょうか? 違いますよね。現状を見れば分かります。
平和のイメージのあるバチカンは中世幾度となく人々の血で手を汚してきたし、イギリスはアヘン戦争という暴力団そのものの手口を使って侵略を行いました。大なり小なり殆どの国が血塗られた歴史を持っています。だからといって、バチカンやイギリスに謝罪を求める声はないとは言いませんが、大きくはありません。過去を忘れるわけではないけれども、こだわっていては一歩も動けないからです。
このような過去の罪、謝罪、清算、といったことにこだわると
「韓国はともかく中国だって周辺諸国を侵略してるじゃないか。現在でもチベットを武力で占拠しているじゃないか」
「ODAだってたくさん出してるじゃないか」
なんて気持ちがむらむら湧いて来て素直になれない。
「どこまであやまればいいの」
というマイナス思考におちいってしまう。

日本は敗戦国なのです。中国は戦勝国であり、韓国は敗戦国日本から独立を回復した国。
戦後60年たっても日中韓の外交でこの認識は変わってません。
だから日本の外交は腰砕けとなる。そう映る。
序列を述べれば上から順に中韓日。これ、古来の中華思想とピッタリ。
むしろ近代、日本が中韓より上にあったのが異常なのです、歴史的には。
でもそろそろ認識を新たにしなくてはなりません。三国とも。もちろん、もう一度戦争をやって序列を決めるなんて事はしてはいけない。それでは不幸な歴史の繰り返しになってしまいます。

19世紀後半から欧米列強がアジアに襲い掛かりました。その中にあって、勝海舟は「一大共有の海局」を掲げ、広く人材を集め、幕府、雄藩を超えた日本の海軍建設を図りました。これが有名な神戸海軍操練所(塾頭 坂本竜馬)です。更に勝は日本、清、朝鮮で欧米に当たる三国同盟まで思い描いていたのです。
不幸にも彼の意図した「日本の海軍」は幕府につぶされ、「三国同盟」もまた実現に至らず、明治政府は全く反対の道を歩んだのですが。
勝は明治32(1899)年まで生きています。征韓論論争が明治6(1873)年、日清戦争が明治28(1894)年ですから、現実が自分の理想とかけ離れてゆくのをつぶさに見たことになります。
実際勝は日清戦争には反対でした。戦勝で沸き立つ中、ひとり危機感を強めていました。同胞が食い合うの愚を人々に語りました。それはこの『氷川清話』にも書かれています。
(ちなみに征韓論については当初、沈黙を守っておりました。盟友であった西郷の真意がわからず、徒に批判するのを避けたようです。西郷の死後、「征韓論は武力征伐ではない」との解釈を彼はとっています)

一方で福沢諭吉は明治18(1885)年時事新報に社説として「脱亜論」を発表しています。
西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず
と、日本の独立を維持するためには西洋文明を積極的に取り入れ、近代化に背を向け、身分制度をよしとする儒教文化にこだわるの愚を説いています。
ただ、これは後年誤解されるような侵略主義を説いたものではありませんでした。福沢はその前半で西洋文明を最上のものではないと言っていますし、何より彼は朝鮮の近代化を強く望んでいました。

ここが大切なところなのですが、福沢が『脱亜論』を書いたきっかけ、日本が「脱亜入欧」をとなえ欧米列強に組みすることになったきっかけは朝鮮及び清の動向に絶望したからでありました。現在の状況とよく似ています。
前年の明治17(1884)年に朝鮮国内でクーデタが起こり、開化派の政権が誕生しましたが、清の武力干渉により、もろくも潰えてしまったのです。
「朝鮮はもはや自力で近代化することあたわず」
福沢は開化派を援助していましたのでこの敗北はかなりこたえたようです。

福沢の意図がどうであれ、この『脱亜論』がその後の日本の侵略を肯定するとられ方がなされたのは事実です。そして勝の日本・清・朝鮮同盟構想はついに日の目を見ることはありませんでした。

今中国・韓国での動きを見るたび、近代日本の分岐点となった上記の出来事を思わずにはおれません。
徒に反発することなく、今こそ冷静に事に当たらねばなりません。絶望からまた「脱亜」の道をとるか、過去を学び未来を見据え、対等な関係を結ぶことができるか。
今からの少なくとも5年から10年は辛抱しなければなりません。

著者: 勝 海舟, 江藤 淳, 松浦 玲
タイトル: 氷川清話