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+ Sleep
鶴田名緒子です。
寝たままブログです。
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おはようございます。
先日、息子のコミニケーションの難しさについて書きました。でも本当は障害があるかどうかにかかわらず、人は誰しも生きづらさと言うものを抱えている、そんなことを考えました。
いえ、人は誰しもと言うのはおこがましいかもしれませんね。
先日、息子のコミニケーションの難しさについて書きました。でも本当は障害があるかどうかにかかわらず、人は誰しも生きづらさと言うものを抱えている、そんなことを考えました。
いえ、人は誰しもと言うのはおこがましいかもしれませんね。
私自身が人間関係をうまく作れないと言うのが、子どもの時から抱えてきた課題です。
私は人を信じ過ぎてしまうきらいがあるため、ちょっとしたことでも、深く傷ついてしまいます。
それでなんとなく、1人でも生きられると厭世的になってしまう。
私は人を信じ過ぎてしまうきらいがあるため、ちょっとしたことでも、深く傷ついてしまいます。
それでなんとなく、1人でも生きられると厭世的になってしまう。
でもこの仕事を始めてから、私なりに努力をしているのが、誰かに対して価値を与え続けたいと言うことです。
私は人に何かを与えると言う行為をあまりしてこなかったのではないかと考えるようになりました。それが不得意だったからということもあります。
なるべくこれからの生き方は小さな事でも良いので、誰かにとっての優しい気持ちになれるような価値を手渡して行くことをしていきたいんです。
この仕事を始めたきっかけがそうです。これまで生きてきたことを、自分の中に留めておくのではなく還元していくにはどうしたらいいか。
それは、それまでの自分を克服することでもあったのです。
「コミュ障」言う言葉がありますよね。
人間関係、家族関係、夫婦関係。
また、ライフステージによる属性から求められる自分だったり。
本当の「わたし」はどこにいるかわからなくなって、探してみたくもなりますね。
私たちは「個人」と呼ぶにはあまりにもたくさんのキャラクターを持ちすぎています。
平野啓一郎さんの言葉によると、人は誰しもコミニケーションを取る相手によって様々な顔を演じ分けています。友達に対しての自分、子としての自分、親としての自分、仕事をしているときの自分と言うように、キャラクターを演じ分けています。
でもどれもが本当の自分です。「個人」は、分かちがたい概念ですが、形を変えた自分もまたリアルである。そのことを平野さんは「分人」と名付けています。
人はこのように高度な感情の使い分けをしているので、それが不器用な事については恥じることではないです。
「コミュ障」だからといって、自分を否定的に感じる事はしなくていいんです。発達障害もしかり。
人はこのように高度な感情の使い分けをしているので、それが不器用な事については恥じることではないです。
「コミュ障」だからといって、自分を否定的に感じる事はしなくていいんです。発達障害もしかり。
「黒か白ではなくグレーでいい。」
これは美容家の本島彩帆里さんの言葉ですが、人間関係に悩む人を優しく癒す言葉だと思いました。
自分の中に本当の「わたし」はいます。
優しく受け入れて、育てていきましょう。
私も人として欠陥があると思っているからこそ、人としては成長していきたいと思っています。
誰かにとっての、価値を毎日ひとつ生み出すこと。
深掘りすれば、自分の中に眠っているんです。
今日は何をしましょうか。