これからの生き方は「走りながら休み、休みながら走る」 | +Sleep(プラススリープ)快眠セルフケアを学ぶ

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鶴田名緒子です。

本日は徒然なるままのブログ。

私はひとり朝活が結構好きだったりします。
まだ通勤していた頃。
当時、息子は保育園っ子。子どもの通院だけでも3つあり、発達障害の療育も2つほどしていました。だから、私のお休みはほとんど、息子の病院だけになっていました。

時間を棚卸する作業は当時からしていました。
まず、朝8時に登園&通勤して、帰りは5~6時。
お風呂掃除、部屋の掃除、トイレ掃除は毎日欠かさずやってから、家を出ていました。
洗濯だけ、主人担当。当時は夜にやっていました。
帰ってから、食事作り、その合間に洗濯物をたたんで、食事を食べたらお風呂。
寝かしつけは夜8時の眠育。

へろっへろな毎日。
手帳に楽しい予定なんてなく。

自分に使える時間がなかった。夜は疲れて一緒に眠ってしまうので、息子と一緒に夜8時に寝てしまって。明け方3時に毎日起きていました。

私はそのとき、自分という人間がものすごくすり減っていくような感覚があって、常に心が枯渇していました。

だから、1人時間が猛烈に欲しかった。育児というのはとにかくままならない。
自分の体ではあるけれども、子どものものになってしまう。自由がきかない。
子どもは自分1人では生きてはいかれない。大人の愛情や庇護が絶対的に必要で。
ただ、空っぽの私はエンジンがふかせない。

そのための時間が朝時間。
私は家族が起きてくる朝6時までの3時間を、ひそやかな遊びの時間として謳歌することに決め込んだのです。

エッセイを書くでもいい。この時間に書いたものが、次々と賞をとっていった。
Web上のライター仕事を試しにやってみたら、結構楽しくて。それもこの時間で得ました。
今の仕事に通じるのですが、「私は発信する側にまわってみたい。」と思わせるきっかけに。

いろんな資格試験の勉強もこの時間でこなしました。
挑戦してどうしても駄目なものもあって、取得をあきらめたものも2つほどある。
でも、あきらめるのにも勇気がいるほど、仕事と両立しながら、全身全霊で勉強して努力しました。
あれほどの努力をしても、叶わないことがあるんだと知っただけでも良かったと思う。
その資格試験の参考書(テキストは何十冊、過去問はやりすぎてボロボロ)を捨てるときは、ちょっと未練もあったけど、手放した今は何の後悔もない。
結局、今振りかえると、それぐらいの熱量しかなかったんだと思えます。

韓国語の独学もノートが10冊近くにもなったし、韓国語能力試験も問題文も読めなかったところから、合格するぐらいまでにはなった。それで、結局主婦だからとあきらめていた韓国一人旅もした。

朝の時間は尊いと言うけれど。
圧迫される日々の中でもがいてもがいて、自分探しにとことん向き合うのが朝。
朝は健全な思考しかもたらさないのも良かった。
夜だったら、もっともっと苦しかったんだと思う。眠りが私を救ってくれた。

だから、私は眠れる方法を、誰かの幸せのために伝えたいんだろう。

孤独な時期ではあったけれども、みっともないほどあがく時間も未来の自分からみたら人生に深みを与える時間とも言えなくもない。
沼に足を突っ込んでも、いつかは抜ける。
そのときは永遠と思える長い時間を苦しみぬいたとして、引っこ抜いてしまえばその時間の長さも嘘のように短く感じるだろう。

今は純粋に、野心もなく朝時間を楽しんでいる。
生活そのものが楽しいと思える。
シンプルだ。

朝、起きて散歩したくなったらする。
走りたくなったら、走る。
パソコンで仕事したくなったらする。
眠ければ、二度寝を決め込むのも良い。
読みかけの本を手にごろごろするのも今の時期は極上。
家事を早めにやりたくなったらやればいい。
好きなように、する。

昔のようにガツガツした自分探しのような朝時間の使い方はもうない。
やりたいことをライフワークでやっているからなのか。
年齢を重ねて、多少達観したからなのか。
よくわからない。



最近は、道具がいらないものが好きだ。
何事も。

例えば運動。これは最近買ったStretchPole。
眠る前にやると、嘘のようにコロンと眠れる。
今、道具として必要なのは、これぐらい?

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道具がいらないというのは、道具が必要なものばかり好きだったからだ。

10代のころにやっていた剣道は防具が要る。
20代のころにやっていた、スキューバーダイビング、スノーボードは言わずもがな。
趣味では筝曲もやっていた。

とにかく、何かをすると、付随してくる道具があって。
今は、身一つでできるものがいい。
ZUMBAは、ウェアとシューズがあれば良くて。
睡眠の講座は、最小限。
自分がいれば良くて。
パソコンや印刷物があればいいけれど、それすらも、最近どちらでもいいように思えてきた。
身軽だと、場所を選ばずに、ひょいっと、境界線を軽く超えられるような気がする。

つい先日、42歳になった。
感慨というものが特別ない。

ただ、今年は「自分にやさしく、たのしく、らくに」を心がける。
自分の人生なのに、いつもだれかの人生を生きていたように思う。

ときには自分に甘ったるくなるのも、いいんじゃないだろうか。
誰も責めはしない。責めているのは、ひょっとしたら自分なのかもしれない。
自己免疫疾患のようにね。

正直、健康でないことがヒリヒリと増えてきた。
体が送ってきたいろんな手紙を私は受け取った。鈍い私だから、いろんなサインがないと気づけなかったのかもしれない。

休もう、眠りがあればその瞬間、心はリゾートにいるように解き放たれるだろう。
食べよう。それも、美味しいものを。体が欲するものを。
体を動かし汗を流そう。心地良く疲れよう。



睡眠の仕事は、ずっと続けようとは思わない。
意識したことがないんです。
だから、たぶん、おそらくずっと続くんだろうと逆説的に思う夜。

私はあまのじゃくだから、続けようと思ったら続けられなくなると思うんですね。

今30回ぐらいまでは講座を開催する予定があるので、100回はやりたいです。
3年はやらないと。
そうしないと、本質にたどり着けないと思う。
何の本質かというと、それも今は道半ばだからうまく説明できない。

未来の眠りで困っている子どもたちを、少しでも減らすために今動いておくってことが、どうやら自分で勝手に思っている使命。

自分の子どもが発達障害だという事実が根底にあるからかもしれません。
健常児として生まれた子どもが、健康なのにうまく生きられなくて社会からドロップしてしまうのが、すごくすごくもったいなくて、切ないんです。
可能性を秘めた子どもたちには、思いっきりその翼を羽ばたかせてほしいと思う。
眠りってそれほどたっぷりとれたら幸せになれる習慣なんだってこと、多くの人に気づいてほしいなと願っています。

やる人が私以外にも出てきたら全然、良いのだ。
将来のある子どもたちへの私からの贈り物が、「ママのための睡眠講座」なのです。

できることをできるペースでやっていきます。
「走りながら休み、休みながら走る。」
どう違うんだって?

ふふ。(笑)