+Sleep 女性と子どもの眠育サロン
鶴田名緒子です。
今日は午前中に『過剰な二人』を読了しました。
これは本当に今読めてよかったと思いました。
本には出会って今読まなければいけないという旬のタイミングがあるからです。
自分に必要なタイミングで絶妙な本に出会うということは私にはよくありますが、この本との出会いがまさにそうでした。
(逆にタイミングがずれたときに、前にガツーンときた本を再読しても何も心に響かないこともある。)
最近、朝の習慣として、エッセイを書いているのですが、文章の執筆量が圧倒的に少なすぎると気づいて。
昨日書いたエッセイとブログの合計文字数を調べたら、合わせてもたった原稿用紙8枚分にしかならなかった。
私は、睡眠講座の講師をする前から、Webで記事を書いていました。
だから、睡眠の本を出してみたいな、という思いもありますし、文章を書く仕事をしたいという気持ちも強くありました。
記事を書いていた頃は、通勤しながら、子どものことや療育、通院をこなし、同時に記事の締切に追われ、ある資格スクールなどにも通っていました。時間を振り絞ってやっていた時期です。手がしびれるほど、キーボードを叩いていました。
この1年は集中して睡眠講座を人にわかりやすく伝え構築する必要があったので、意識的に文を書くことから離れていました。
やっぱり私は文章を書いて発信していかなくては、ものすごく駄目なんだと最近気づいて。
読書を大量にすると、強烈にアウトプットしたくなる時が来るんですね。
今は発表する場がほとんどないのですが、そもそも私、全然書いていなかったなと気づいて、自分を恥じました。
書かない言い訳を自分に与えていたなんて、自分が大馬鹿だと思いました。なんの文章の筋力も鍛えていない今の私では、新しい挑戦もできないに決まっている。
睡眠講座の講師として勉強したり活動しているから忙しいとか、育児や家事のことが理由になっているかもしれません。
でもそれは、私が文を書いて生きていくことはどこか非現実的なもやもや感や劣等感だったり、頭のどこかでできないのではないかという、逃げがあったからに他ならない。
私、結局何もやっていなかった、行動を起こしもしなかったということに気づいたんです。
人生や運を決めるのは、「やるか、やらないか」だけ。
そして、「意志」を「継続」する圧倒的な努力だということ。
私は文を書かなかったことで、やらない人生を無意識にとっていた。
やらない人生に、無意識に満足していたということです。
これって、すごくむなしい。
諦めならまだ、潔い。
でも、言い訳というオブラートに包んでいただけで、行動を先送りしている自分を今の私が肯定している点がものすごく哀しい。
時間が限られた中で、いかに集中して良い文章を作るかということに、これから命賭けていこうと思います。
私は睡眠講座をやり続けながら、文章を書く仕事を両立させていこうと思います。
毎日原稿用紙25枚分の文章を書くことを自分に課してみた。
つまり、10,000語の文章を書いていくということです。
これをとにかく、四の五の言ってないでやろうと思います。
もちろん、睡眠講座の質を下げるつもりはなく、明日の「ママのための睡眠講座」も頑張ります。
今日も練習してみて1時間以内にはおさまりそうです。
ママの笑顔のために良い講座にしていきたいです。
本がなくては私の人生は深まりようがない。