5人兄弟である。

この年になると、何があってもおかしくない。


長女は、故郷の、愛媛県大洲市長浜町出海に住んでいて健在である。

教育委員長にまで出世した夫の遺族年金があり、経済的には豊かだが、子供たちが村を出たので、一人嫁ぎ先の家を守っている。

血液はO型、性格は大らかである。


長男は、住友千葉化学で働いていたが、定年を前にして亡くなった。

暑い夏であった。

急逝の知らせを受けて、千葉県市川市の自宅にかけつけたが、嫁さんは丁度大阪に出かけて不在で、長男が一人待っていた。


次男は「みかん農家」を引き継ぎ、金にならない重労働を厭わず、元気で働いている。

「愛媛県果樹試験場」で勉強した根っからの「百姓」である。

子供たちがみんな村を出て、跡を継ぐべき長男も東京で就職し、嫁さんと二人で家業を守っている。


弟は、子供のいない親戚の養子となったが、千葉県松戸市で「学習塾」経営に取り組んでいる。

愛媛県に帰郷することはないだろう。

養子先の墓守は、いきおい兄が面倒をみることになった。

弟は戦後生まれ、いわゆる「団塊の世代」で、人生を闘って生きているといった感じである。


私は、農家の3男坊、家に縛られることもなく、自由に自分の生きたいように生きれる身分である。

中学時代から大学時代にかけて、みかん農家は潤った時代で、四国の田舎から東京の大学に進学させてもらえた。

もっとも、大学在学中の4年間、親父は好きな酒を絶ったということをあとで知った。