さて、『悪人』の映画化が報道され始めてから、いろいろなメディアで取り上げられてきた
「誰が悪人なのか?」
という問について書きたいと思います。
まず、「悪人」とは何なのでしょうか。
読んで字の如く、
悪い人
悪いことをした人
悪いことをしている人
といったところでしょうか。
では、「悪い」て何なのでしょうか。
わたしは哲学者ではありませんが、
「ある価値観の下で、行ってはならない行為を行うこと」
と言えるかなと考えました。
例えば、嘘をつくのは「道徳的」に悪い。
または、脱税するのは「法律的」に悪い。
この他にも、地域、政治、宗教、集団、さらには時代によって、いろいろな「悪」があります。
当然、複数の観点から「悪い」と言えることもあります。
人をあやめるのは、道徳的に見ても、法律的に見ても悪い、とか。
ここまで自分で書いておいて、なんだそうか
いつ、いかなる場所、いかなる状況においても「悪」である行為なんてないんだ
ということを意識しました。
時代によっては、敵討ちという形で、殺傷さえ認められていたわけですし
現代でも死刑制度は、人の命を奪うことが認められているケースと言えます。
ここまで考えると、『悪人』という物語の中で誰が悪人か、というのは
答えの出せない問なのだということに気づきました(いまさら?)。
あるいは、各個人がそれぞれで答えを探すべき問なのだと。
長くなってきたので一度切ります。オチが見えませんが、ちゃんと落とします。
続く。
「誰が悪人なのか?」
という問について書きたいと思います。
まず、「悪人」とは何なのでしょうか。
読んで字の如く、
悪い人
悪いことをした人
悪いことをしている人
といったところでしょうか。
では、「悪い」て何なのでしょうか。
わたしは哲学者ではありませんが、
「ある価値観の下で、行ってはならない行為を行うこと」
と言えるかなと考えました。
例えば、嘘をつくのは「道徳的」に悪い。
または、脱税するのは「法律的」に悪い。
この他にも、地域、政治、宗教、集団、さらには時代によって、いろいろな「悪」があります。
当然、複数の観点から「悪い」と言えることもあります。
人をあやめるのは、道徳的に見ても、法律的に見ても悪い、とか。
ここまで自分で書いておいて、なんだそうか
いつ、いかなる場所、いかなる状況においても「悪」である行為なんてないんだ
ということを意識しました。
時代によっては、敵討ちという形で、殺傷さえ認められていたわけですし
現代でも死刑制度は、人の命を奪うことが認められているケースと言えます。
ここまで考えると、『悪人』という物語の中で誰が悪人か、というのは
答えの出せない問なのだということに気づきました(いまさら?)。
あるいは、各個人がそれぞれで答えを探すべき問なのだと。
長くなってきたので一度切ります。オチが見えませんが、ちゃんと落とします。
続く。