大東亜帝国系の大学4年のとき、
就職のことは何も考えてなかった。
かと言って、進学するには時期を逸していた。
これには色々と事情があるのですが、長くなるのでまた今度書きます。
とりあえず就職フェアに行ってみたり、
教職を取っていたので私立学校の採用にエントリーしてみたけれど、時は超就職氷河期時代。
大東亜帝国レベルの大学では世間の波に太刀打ち出来ず、同級生の多くが、卒業後には公務員試験のための専門学校に行ったり、大手の消費者金融とかに就職していた。
正社員で採用されるのが最も難しいと言われた時代だったのだ。
(優秀な人は、メガバンクとか公務員にちゃんもストレートで採用されてました。念のため。)
そんな中、私は…
諸々あってぼーっとしていた。
本当に、何にも、全く、全然、
卒業後のことなんて考えてなかった。
そうしたところ、
ひょんなことで知り合った、国立大学の大学院で博士後期課程で研究しているお姉さんの論文を読ませてもらい、内容はほとんど分からなかったけど、なんだかワクワクして、私もこういうのやりたいな。。。と漠然と考えた。
そーかー、大学院かー。盲点だったな。
とは言え、今の専攻には合格したから入学しただけで、この分野にそこまで強い思い入れがあるわけじゃないけど、論文書いてみたいな。
とか思ったけど、時すでに秋。
主だった大学院への入試はとっくに終わってる。
だったら、元々行きたかった大学の科目等履修生になって、1年間、院試の準備するのでもいいかもな。
とにかく、まだ学校の中に居たい。
社会になんか出られる気がしない。
こういうのをモラトリアムって言うのだわ…などと親の気持ちも知らんと、しみじみしながらネットで諸々の入試情報を漁っていると、私立最難関といわれる大学で、学士編入の募集を見つけた。
学士編入と言えば、
大卒で学士の称号を得ているのを条件に、新たに大学3年に編入して、また学部生として2年過ごすことになる。
でも、専攻を変更するなら、学部で基礎的なことを2年やって、その後に大学院行くのでも良くない?と思ったのです。
甘えてると思います。
世の中を舐めてると思います。
それには全く反論の余地はございません。
しかし、その時の私には、世間のレールからこぼれ落ちないための、たったひとつの選択だったのです。。。
受験まで2ヶ月程度しかなかったけど、
論じる系の試験は割と得意だったし、
英語も要約問題が主で、
苦手な穴埋めとかなかったし、
面接も外ヅラだけはいいから、
なんとかなるんじゃね?と思って勢いで受験したところ、
なんと合格したのだわ。
結構な倍率だったけど、パスできたのだわ。
嬉しかった。
その大学の学生になれることよりも、
中学、高校、大学、なんなら英検も、これまでの人生で一度も希望通り試験に合格した経験がなかったから、自分でも合格ができたという事実が本当に嬉しかった。
当時はまだオンラインでの合格発表はなく、郵送か現地での発表だったので、大学まで見に行った記憶がある。
自分の受験番号があったあの瞬間、あの光景、今でも覚えてる。
中学時代から背負い続けた重荷がやっと降りた気がした。
心がスーーっと軽くなった気がした。
母は泣いて喜んでくれた。
やっと親孝行できたわ。
これで父もやっと認めてくれるだろう。
そう思って電話を父に代わってもらい、
合格を告げたところ、
父は開口一番、
「〇〇大学でも、〇〇学部じゃダメだな。」
。。。。。はい????
確かに。。。
合格したのは、
この大学の花形学部ではないですけど。。。
花形の学部に比べたら難関度は劣りますけど。。。
そんなこと言う???
この瞬間、
私はドン引きしたと共に、
子どもの頃から抱えていた「父に認めてもらいたい欲求」が、スッてなくなったんですわ。
あ、この人、私が何やってもムダなんだ、
って思った。
私立最難関でもまだダメなの???
そしたらもう、東大に受かるしかなくない??
でも、この人、
私が東大の文学部に入っても、
東大なら法学部じゃないとな、とか、
医学部に入っても、
医学部なら脳外科じゃないとな、とか、
自分のこだわりを、ずっっっっと言い続けるんだわ。
なんかもう、付き合ってられん。
この人きっと、こういうコミュニケーションの取り方しかできないんだわ。
編入したのは私のため。親のためじゃないわ。
開き直った私は、父に
「うっさいわ。〇〇大、中退め」と早速学歴マウントを取り、電話を切ったのです。
学費出してもらうのに、この態度はないわね。。。
父よ、生意気言ってすみません。
しかし、こういう父だからこそ、娘のモラトリアム編入を手放しで受け入れたのだろうし、この父にしてこの娘ありな訳です。
その後も父とは色々ありましたが、今ではとても感謝してます。
でも、私が両親に、本当に感謝の念が持てるようになるのは、この10年後なのですよ。。。
私は、私立高校から浪人した後に私大いって、そのあとまた2年私大、という、学費を喰らい尽くした進路を当たり前のように堂々と歩き、既に20代半ばにもなってたのに、ぬくぬくと学生生活を続けて行くのです。
モラトリアムにも程があるね。。。。
そんなこんなで、
最終学歴を上げるための手段として編入を考えていたわけではなかったけど、迷いあぐねた結果として、奇しくも学歴ロンダリングしてしまった私。
お金ばかりかけて親には申し訳なかったなと思いつつも、人生の中で一度でも志望校に合格する経験を持てたことは、それまでの大きな負担を解消する上でも本当に良かったと思ってます。
次回は、学士編入による学歴ロンダリングが、本当に価値あることなのか、実社会ではどう扱われるのかについて書いていこうと思います。
実際に在籍してみて、大東亜帝国レベルの大学と難関大の違いや、変わらないことなどについて書いていきます。
では、また。