私は高校時代に途方もない夢を見ましてね。
偏差値そこそこの私立高校の普通科に通っていたのですが、クリスチャンスクールだったから、ICUやら、上智やら、立教やら、青学やら、同志社やらのキリスト教系大学の指定校推薦枠があって、レベルの割には進学実積が豪華だったんですわ。
でも、そういう有名大学の指定枠を獲得できるのは、3年間コツコツやって高い評定平均を保った本当に優秀な一握りだけで。
全体的に賢いイメージは薄い高校。
なぜその高校に通っていたか言うと、第一志望の高校に落ちたからです。
しかし、意に沿わない高校進学をいつまでも根に持ち、その後も大して勉強もしないくせに「私はこのレベルじゃないし」という、しょーもないプライドを意固地に抱え込んで、あまり明るくない高校生活を送っていました。
それで、ぼちぼち大学受験も考えなければならなくなった頃、ぐうたらな私は、みんなが知っているような大学への指定校推薦枠の獲得は無理だし、でも、高校入試失敗のリベンジはなんかしたいし、一般入試で一発逆転とかできないものかね、と考えておった。
それで、指定校の中の、とあるハイレベル大学の一般入試の過去問題を解いたら、けっこう解けたのですよ。
たぶん基礎学力はなかったから、他の大学の過去問とかセンターとか解いたら全然できなかったと思うけど、その大学はかなり特殊な入試問題だったので、なんか解いてて楽しかったし、こういう勉強ならしてもいいかも、と思った(笑)
それで、受験業界の諸々を全く理解していない私は、そのハイレベル大学を志望校にしてしまったのです。。。
誰か止めてやれよ。
いくら偏差値で測れない特殊な入試問題でも、自分の偏差値を把握してもいないレベルの人間が、70レベルと言われる大学なんて受からないって、誰か教えてやってくれ。
それでも、そもそもが進学校ではないので、あまり冷静に突っ込んでくれる先生もおらず、やってみー??みたいなノリで受験を敢行したのです。
結局、浪人しても受からず。
そもそもが不相応なレベル設定だったのに、滑り止めも滑り止まらない大学ばかり選んでしまい。
結果、高校のとき同様、大学も意に沿わないところになんとか入学したのです。
大東亜帝国レベルの。
今思えば、それがまさに身相応。
相応中の相応だったんですよ。
でも、そこでもまた「私はこのレベルじゃない」という満たされない思いを抱える訳ですわ。
なんでそこまで学校に拘っていたのか、よくよく考えてみると、やっぱり親に認めてもらいたかったんでしょうね。
ウチは母親は全くそういうことに無頓着だったんだけど、父親が田舎の学歴厨だったのです。
自分も思い通りの学歴を得られなかったことで、その夢を私に託したんだろうけど、そもそもが学年で大学進学するのは数名、という大田舎で、受験の知識なんて全くないのに、大学のレベルと名前だけは異様に詳しいという面倒臭いタイプの父でした。
だから、子どもの頃から、
あそこの大学は大したことない、とか、
あそこの大学はなかなかいい、とか、
始終聞かされており、私も父が認める大学に行かねばと擦り込まれたのでしょう。
私が不相応にも目指した大学は、当時、父親のイチオシ大学でした。
ちなみに、失敗した高校受験も、父親の母校でした。もう、業が深くて笑ってしまうわ。
そんなこんなで、
今いる大東亜帝国レベルの大学では終われない、もっと上に行かなくては、という焦りと渇望を抱え、留学しようとしたりして足掻き、それを3ヶ月の語学研修で誤魔化し、往々に大学の4年間を終えようとしている頃、私に転機が訪れたのです。
次回に続く。