人間は、とかく自分と
他人とを比較します。
見た目や収入、能力、
結婚・未婚や境遇など。
そんなこと、
してもいいことはないと
わかっていたとしても、
脳は自動的に
考えだしてしまいます。
気をつけることはできますが、
習慣や感覚を変えていくのは
簡単ではありません。
でも、自分と他人を比較して、
あまり羨んだり嫉妬したり
しない人もいますよね。
比較する弊害に悩まされる人、
そうでない人、何が違うのか?
それは、正しい自己認識の
程度によるものと思われます。
誰もがモデルや歌手に
なれるわけではない。
自分には自分の役割、
個性がある。
それに気づいた人は、
さほど他人との比較で
苦しまなくなります。
裏を返せば、
他人との比較に苦しんでしまう人は、
正しい自己認識が欠如している、
ということです。
ありきたりな例ですが、
バラが美しいのは、
バラがバラであることを
全力で表現しているからだ、
ということです。
ひまわりになろうとせず、
自分を全面的に受け入れ、
自らの命を一生懸命に生きるから、
バラは美しい。
同じことが僕たちにもいえます。
自分でないものにはなれない。
なれないものになろうとするから、
苦しくなる。
信じれば夢はかなうといいますが、
それは正しい自己認識を得ている人に
向けられるべき言葉だと思います。
それがない状態で
ああなりたいと願っても、
エゴや執着が大きく、
運がなかなか味方してくれません。
自らの器や使命に気づけたら、
もっとがんばろうとか、
あの人を見習おうとか、
ポジティブな比較の使い方を
していけるようになります。
以前、元モーニング娘の
保田圭さんが話していました。
「あの頃はみんな
センターを狙っていて、
ギスギスすることが多く、
あまり空気が良くなかった。
すごく不満だったけど、
自分の役割や個性に気づけたら、
すごく幸せになれた。」
そんな内容だったと思います。
保田さんが持っていた資質は
センターではなく、
あえて道化者でいることで、
みんなを笑顔にすること
だったんですね。
自分を受け入れて、
精いっぱい表現して、
自他ともに笑顔になれる。
それが正しい自己認識を
得たということなのです。
これにいつ気づけるかで、
人生の展開は大きく
変わってきます。
あなたは、
自分を生きているでしょうか?
自分でないものに
なろうとしているでしょうか?
自分でないものに
なろうとしていたなら、
本当の役割、
資質は何でしょうか?
もしくは、
ふさわしくない場所に
甘んじてしまっているでしょうか?
秋の夜長に、
ちょっと考えてみるのも
いいかもしれませんよ。