今朝、起きてすぐに「愚者」のキーワードが頭から離れませんでした。。。
私の体調は、5日くらい前から頭痛が酷く息もできないほど鼻がつまり、花粉症が重症化して頭痛と蓄膿症を引き起こしたのではないか、、、、という日が2日間続いて死にそうでした
それと同時期に、私の中のインナー・シャドーゆうことインナー・ヤクザも起動してしまい、息子と顔を合わせると衝突してばかりの毎日(笑)
4月1日を境に、鼻づまりもなくなり、ケロッと回復して、呼吸がとってもラクちんに
この日のために、調整されていたんだね(笑)
で、あのシャドウゆうことインナー・ヤクザは、いずこかへ消え去り、完全にポジティブ思考に変換
現在、頭の中はお花畑でいっぱいです
そういえば、今日はエイプリルフールの日なのですね。
エイプリルフールの由来をWikiってみたら、、、、もともとは、グレゴリオ暦に反対した人たちが、「今日が新年だ!!(嘘だけどね・・・)」とお祝いしたのが始まりのようです
本当は、エイプリルフールは、嘘をつく日ではないんだね。
どちらかというと、今日はスタートというエネルギー
西洋占星術では、春分が新年ですから、、、4月1日はお正月だろうね〜、と、私も同感です。
タロットの「愚者」がぴったりだな〜と感じます。
ちなみに、タロットの「The fool (愚者)」は、お馬鹿な人のことではありません。
この人は、すべてのものから自由になり、新しい境地に立ち、自分の魂にしたがって旅立とうとしています
また、数字の「0(ゼロ)」も、とっても魔術的な数字。。。
素晴らしい幾何学的な叡智や高度な数学や天文学を持っていた古代エジプト〜古代ギリシャ時代であっても、「0(ゼロ)」という概念を数字として取り入れる研究はされていませんでした。
いつ、「0(ゼロ)」が数字として取り入れられたかは、諸説あるようですが、、、5~6世紀ごろ、インド人のアラビア数字が起源となっているようです。。。確か(笑)
それまで、概念としてはあったかもしれない「0(ゼロ)」だけれど、数字として認識されなかった立場にあったのは、紀元後、特に西洋において、唯物論がどんどん精神世界を否定し、自然信仰を覆してきた時代だったからなのかもしれません。「無」や「無限」を意味する「0(ゼロ)」は、17世紀、ローマ法王によって禁止にされ、その説を唱える人は処刑されたそうです(Wiki情報より)
生命の樹だと、全ては「無」から始まる。
それを、
「無」→「アイン」、無限→「アインソフ」、無限の光→「アインソフオール」と言います。
もしかしたら、「アイーン」という芸を産んだ、しむけんさんの突然の死は、新しい旅立ち「無(アイン)」だったのだろうか、、、などと、、、このところのエネルギーと合わせて考えると、とても象徴的です
ドリフで育った私には、彼の死が突然すぎて、どうしても象徴的な出来事にしか感じられないのですよ
生命の樹のパスでは、ケテルとコクマの間に「The fool (愚者)」の「0(ゼロ)」があり、そして、ケテルとビナーの間に「The magician(魔術師)」の「1」があるため、「無」と「有」の世界の二極化をあわらしているかのようにも感じます。
そして、ケテルからティファレットに向かうパスには「The high priestess(女教皇)」の「2」があり、カードには、柱と柱の間に座っている女教皇の絵が描かれています。柱である、「1」と「1」を足して「2」の清濁併せ飲むグレーゾーンにいる彼女の様子を描いているようです。
「The fool (愚者)」の旅は、は22番めのカード「The world(世界)」ので一度終了します。
愚者の旅は、新たな大宇宙へ一歩を踏み出し、そこから、世界を創りあげるまでの壮大な物語。
それがいよいよ、これから始まります。
今日は、新しい宇宙に飛び出す最初の日。
今までのしがらみや苦しみは、自分で作っていた呪縛なのだと気がついたら、全てのものから自由になれる。そして、全ての事柄やものに、神の恩寵があることを知る。全てに愛を感じることができる。
愛と平和な世界を創造する
今日は、そう決めるだけでいいのです