それも、私のIDで。。。
クラスの子、一人にだけ内緒で動画投稿をしていることを教えたら、次に日には学年中に広まっていて、視聴回数が一気に上がっていた、という息子の動画チャンネル(笑)
さらに、今日は、上の学年で、同じ掃除の班長にまで知れ渡っていた、と教えてくれました。
キーワードは「あまり喋らないレオのマインクラフト」で検索するとヒットします。
子どもたちは楽しんでいると思いますが、親の私が見ても、面白さはわかりません(笑)
先週の土曜日は息子の運動会でした。
閉会式のあたり、座って眠ったまま、起こそうとしてもウンともスンとも反応のないおばあちゃんがいました。
血行はみるからに悪くて、全く、体が動かない。。。まるでぬけがらのよう。。。
なんだか熱中症のような悪い予感。
「これはヤバイんじゃないか、救急車を呼んだ方がいいのでは?」と話しても、一緒にいたお嫁さんは、おばあちゃんをさするだけで、あまり対策をとらない。彼女によると、これまでに何度もこういうことがあったから、救急車を呼んで大事にしたくなかったらしい。
けれど、見かねた母が脈を探ってみたり、声をかけてみたり、あらゆる手段で起こそうとした。
一度呼吸をしたけれど、自力で動けないので、近くにいた来賓の方々に助けを呼び、学校中の先生方、保健の先生やら PTA関係者やら、一斉にいろんな人がおばあちゃんを助けに集まった。
それまで私は、このおばあちゃん、もう迎えがきているんじゃないか、、、と諦めを感じるほど、まったく生気が感じられなかった。
けれど、急に、その場が緊迫し始め、やじうまもたくさん来るなか、男性数人がおばあちゃんを囲んで、人工マッサージを始めた。
いつもなら、私はやじうまが好きではないので、そこから離れるのだが、なんだか、離れがたい気持ちになり、しばらく観察していた。
光のエネルギーがおばあちゃんに集まっていくように感じられた。
みんなが一斉に祈り始めたのだ。
とにかく、意識を取り戻して欲しい。。。
人工マッサージをしてる人も、声をかけている人も、毛布やシーツ、まくらを取りに走り回っている人たちも、同じ気持ちになっていた。
もちろん、その場は騒然としていたけれど、天使たちや上の存在たちもワサワサ忙しそうに動いていた。
光がおばあちゃんに集まっていくと同時に、おばあちゃんの血行は少しずつ良くなり、息を吹き返した。
ああ、祈りのパワーってこういう事だったのか、、、と、改めて感じた。
たくさんの人たちが、純粋に祈るだけで、ものすごい変容が起きて、ヒーリングも起こる。
だから、「祈りの力」って強力なのだと。
だけど、この祈りの力はネガティブにも働くな~と帰ってから考えた。
マイナスな妄想を、一人でなく、何人もの人がしたら、それは良くな事であっても引き寄せてしまう。
だから、「あなたの寿命はあと1年ですよ」
などと、例え、命が消えかけていると感じたとしても、ヴィジョンが見えたとしても、それは言ってはいけないことなのだ。
というか、必要ない情報なんだ。
って、すごく思えた。
どんなに良くない未来が分かったとしても、それは、次の瞬間変わってしまうから。
人は瞬間瞬間に生きているから。
この世に落とされた命のほとんどは、生きることを通して、学びにきている。
命は、最後の最後までねばって、しがみついてでも、大事にしないと、もったいない。
死を通じて学ぶことは確かにあるけれど、
生きて、生き抜いて学ぶことの方がたくさんあるのだ。
私の親戚で、まだ中学生の息子さんを持つお母さんが、明後日、ガンの手術をする。
だから、「全回復しますように」最高最善な状態をイメージして祈ろうと思った。
みんなが祈れば、きっといい未来になっていくハズ。
愛は何よりもパワフルだって、マイクも言っていたし

これも一つの信頼なんだろうね。
אבגדהוזחטיכמנסעפצקרשת
כִּ֣י מַ֭לְאָכָיו יְצַוֶּה־לָּ֑ךְ לִ֝שְׁמָרְךָ֗ בְּכָל־דְּרָכֶֽיךָ׃
תודה רבה
