こんばんは
雨のゴールデンウィークの始まり
いかがお過ごしですか?
私はのんびりしています
嬉しい
NO PLAN
すずらん
数少ない庭の花
時期が来たんで放ったらかしでも咲いてくれた
可愛くて小さな花
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時は過ぎていきます
4月26日
母の四十九日法要と納骨を行いました
私の自己満足の母への長めの備忘録です
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亡くなった母
3/24 深夜 0:30 施設で眠るように息を引き取った母。「母ちゃん、このパジャマ1回も着んかったねぇ」と私。「姉ちゃんが直したパジャマ着せて貰おや。」と妹。
夜勤の職員さんにお願いして、私が3日前に袖丈を直しゴムを入れた新しいパジャマに着替えさせて貰った。「よう似おとる。」と妹。紫の花柄だった。
間も無く母は手配した寝台車に乗せられ、暗闇の中、母の家の前で停めて貰い、顔に掛けた白い布を取りお別れした。母の顔はまだ温かかった。妹の車も後から付いてきた。
その後、母が望んだ葬祭場へ向かった。夜明けまでかなり時間があった。午前7時を待って、お寺に母の永眠を伝えた。
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母から頼まれていた白装束
生前、母から委ねられた通り葬儀の準備を妹と一緒に粛々と進めた。私達姉妹は、何度も母に言われていた。「四国八十八ヶ所のお参りしたんを着せてよ」
湯灌の後、母が望んでいたように、四国八十八ヶ所巡礼の白装束を着せてもらい、お袈裟、八十八ヶ所御詠歌朱印(納棺後の晴れ着)を掛けた。納経帳・同行二人の山谷袋、「南無大師遍照金剛」手には愛用のお数珠を持たせた。
その姿は、母が望んだ「密厳浄土」に向かう信仰に満ちていて、97年362日間、一生懸命に生き抜いた清々しく安らかなお顔だった。この姿を母は望んでいたのだなと感慨深く安堵した。
そして、和尚さんに教えて頂いた。節分を過ぎて亡くなった母は、行年では98歳、享年では99歳。誕生日の3日前に亡くなったので満97歳だったが、ほっとして用意していた白寿祝いの白い衣装も入れた。
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納骨は終わった。後飾りも片付けた。
後飾りの祭壇を見守っていた「母の巡礼の掛け軸」はきっと密厳浄土に導いてくれる。七七日(実際の四十九日)迄は、御霊具膳をお供えしよう。
この漫画盛りのご飯🍚はお供えした後、毎日の私の昼ごはんだ。
納骨が終わるとほんとうに淋しくなった。やっと現実
そして、喪主としての私の肩の荷も少し下りた。
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母らしい生き方
母の潔い筋の通った生き方、困った時に頼りになった母。「親じゃけん教えとく」と机をピシッと叩いて大人になっても姉妹共々説教された。それは、孫にも同じであった。説教されても愛があるので、皆慕っていた。
94歳迄一人で暮らし(毎週3泊4日)我家へ、義母が他界して暫くは、我家はショートステイの役目だった。
そして自己管理を怠らなかった。留守番電話に、「母ちゃんやけど血圧言います。上126 下68 」と残っている。毎晩8時頃血圧報告の電話が掛かってきた。電話が大好きでそれ以外にも1日十回以上電話が鳴り、私は精気を吸われそうになった事も懐かしい。
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最後の1ヶ月
3月には、食べてもどんどん痩せて30kg程になった。しかし握力が強い母、おむつ交換には身体を横に向けベッドの柵を持ち腰を上げて一生懸命頑張っていた。
亡くなる3日前迄、何かしら食べていたから、最期の最期まで点滴をする事なく、口から食べた物だけで母らしく旅立った。自然な老衰だった。人が亡くなる経過を間近で教えてくれた。
よく食べて、たまに呑んで唄う♪
賢く陽気、朗らかな笑い声
携帯に面白い母の画像が溢れている
最後に
居室に宿泊許可と看取り許可を下さった
施設サ高住
優しい気遣いの職員さん達に感謝
穏やかで適切な治療をして下さり
何度も往診して下さった
訪問診療のドクターありがとうございます!
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さくらの日に産まれて
桜の頃に旅立った母!尊敬と感謝
今日もブログにお越し下さり
ありがとうございました








