本日は「覚悟」について書いてみます。

コトバンクから引用してみます。

↓↓↓↓


かく‐ご【覚悟】

[名](スル)
1 危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること。「苦労は覚悟のうえだ」「断られるのは覚悟している」
2 仏語。迷いを脱し、真理を悟ること。
3 きたるべきつらい事態を避けられないものとして、あきらめること。観念すること。「もうこれまでだ、と覚悟する」
4 覚えること。記憶すること。
5 知ること。存知。
「時にあたりて本歌を―す」〈徒然・二三八〉
「郎従小庭に伺候の由、全く―仕らず」〈平家・一〉


(引用終了)



あなたは「覚悟すること」が好きですか?
私は基本的には嫌いです。というか
「本当にやりたい事」をやり始めた途中で何か壁のようなことを感じた時にいちいち『覚悟している」とは感じないから。
何かを始めるにあたって『覚悟しろ」とか「覚悟しなきゃ」とか考えない。
何故なら本当に欲していることならどんな事があっても「乗り越えて」しまうからです。





私は幼少のころ「注射」が嫌いだったんです。
「注射」が好きな人なんていないと思いますが 笑
予防接種だけでなく、ちょっと風邪をひいただけで注射をするという時代(歳がバレる)
大人になってから「何故こんなに注射が恐怖だったのかな?」と時々考える事があります。
「注射が嫌い」をクリアしたきっかけもあったのですが遥か大人になってからふと、その原因がわかりました。





とある予防接種の時、待合室で待っていた時子どもが怖がっているのに注射をされる事の恐怖を
話していた大人達がいたんです。感受性が強い子ども達がいることも忘れて「注射の恐怖」の話を。
その話が私の耳からは離れなくなりました。
父親にその話をすると、父親から私を安心させてくれる言葉が出なかったのです。別に愛情がなかったわけではなく、これも後に考えると父は医者が嫌いでしたから、私を励ます適切な言葉が選べなかったわけです 笑





私が風邪をひいては医者に連れられていくと注射を必ずされる。
この「注射が嫌い」という意識 ← 苦手意識は私の身体を注射をする前から緊張させ硬直させました。
「覚悟」をするばかりにさらに固まる心と身体  






コトバンクにあるように「覚悟」の1の解説
「1 危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること。
これって本当に必要なのかと?
勿論身の危険回避の対策や知識は取り入れたほうが適切なことを断っておきますが。
それは私個人の事ではなく沢山のご相談を聞いて来て感じていることでした。




殆どの人が「恐怖」という感情を上手に処理できず、覚悟している」という事だったりして、
心と身体をガチガチに固めて前に進めない人が沢山いらっしゃること。




先のブログで「真に欲しているもの」↓
http://ameblo.jp/fortune-mrsk/entry-12110783886.html




で書きましたが、「本当にやりたい事」を人が掴んだ時、特別な「覚悟」はしていないように感じます。何故なら「覚悟」する間もなく行動しちゃうから。
もしあなたが何かを始めたい時「覚悟しなきゃ」と考えるクセがついている場合は
昔々の子どもの頃に大人達や社会の刷り込みの部分を取り入れたと考えていいと思います。
そしてその刷り込みはどこかで「消し去れないもの」という意識をお持ちのかたもいらっしゃるとおもいますが、そんなことはありません。





私の「注射に対する恐怖」はどうやって解決されていったのかというと?
なんと!風邪が治るまで「毎日注射をされたこと」だったのでした!




人は「慣れていく生き物」





未経験の事や、今までの生きて来た環境ではあり得ない事に対して
イメージの中で「こうではないか?ああではないか?」と考える時があります。
私の注射のイメージも大人達が作り出した幻想、それも注射が嫌いな大人がただ私のそばにいて
喋っていただけ(笑)それを私がタイミングよくインプットしてしまっただけのなのです。






新年を迎えるにあたり、願掛けをなさる方
今年はいつもと違った「願掛け」をなさってみても楽しいですよ!
「覚悟がいらない」願掛けを是非おススメいたしますメラメラ