前回の続きです。
タイトルの命題。

結論を急げば「真」でなければ、自分がいま大学院に通っていることや、
そもそも通っている大学院の存在そのものが否定されることになってしまいます。
よって出来レースではありますが、答えは「真」です。

実は、この命題、以前うちの大学院の先生から言われて以降、
頭ではその重要性を認識していたものの、なかなか自分で消化しきれずにいました。
そんなとき、飲み会でクラスメートが紹介してくれたのが、以下の論文。

http://www.msi.co.jp/splus/support/salon/userconf/ronbun/3rd/tubaki.pdf

うちの(にいた)大学の別の先生が書いたものなのですが、なかなか興味深い。
自分の消化を助けてくれる内容ではないのですが、
それでも「ビジネスは科学できるのか」という問題について、
夏目漱石という一見見当違いなところから見事にアプローチしています。

以下、長くなりますが上記アドレスからの引用。

「人間のすべての知識は、『感覚的経験』から始まって、『知性』を経て『知覚』となり、『概念』に達する。データというものは、すべて感覚的印象なのである。観察や実験で得られた印象(データ)を分析し、抽象化し、さらに総合し、一般化し、分類することで法則ができる。これが科学である。それでは、科学では経験以外のことを前提にすることはないのだろうか。科学が分類や一般化によって法則を導くのは、実用的便宜性からである。実用的便宜性とは、過去から未来を予測することである。経験的に得られた公式を経験外に適用することで、手間が省けるのである。この便宜性から一般化とか法則といったものが『(人間によって)生み出された』というのが事実である。
(中略)
したがって、科学は対象の均一性の仮定の上に成立する。均一性の仮定を疑えば科学の基礎は崩れる。次に科学は合理的創造としての仮説を許容する。対象の均一性の家庭は法則を適用するときに必要なのではない。法則を一般化するときに未知変数Xの作用が、そこでも存在するものとした仮説的法則を作るために必要なのである。昔から、発明家は想像から示唆を得て、その後の検証を行った。検証が難しくても、この仮説的法則が成立する確率が高ければ、その確率に比例して法則は有効である。」

すなわち、科学とは絶対的な基準のもとに信頼できるものではなく、すべて人間の経験によって法則性を見つける作業の中から生まれるものということになります。引用文をビジネス(に限らずとも何かの事象)にたとえて考えてみれば、日々の作業で蓄積された経験は科学を導くための法則の基礎となるわけですよね・・・と、若輩者ながら考えてみました。

まだまだツメが甘いかな・・・
とにかく奥が深い論文です。
自分もまだまだかみしめないと味がでないと思いますが、関心のある方はぜひ一度ご一読あれ。