ある文章を読んだとき、

その後に残るもの。

それは読む人によって違うのはもちろんだけど、

自分でも

初めて読んだ時と、後で落ち着いて読んだとき。

他の人の意見を聞いてから読んだり、

雨の日だったり、夜中だったり。

 

その時の雰囲気や気分に影響されて、心が動く部分も違うなぁと思います。

 

 

最近、陳述書を読みました。

訴訟提起している病院で当時主治医だった方達のものです。

 

私の場合、個人を相手にしているわけではないのですが、

私みたいな人が先生方を責めていいのかと、

訴訟提起した事に、どこか後ろめたさや、迷いを抱えながら進んできました。

 

初めて陳述書を読んだ時には、

これまでの書面では一度もなかった、お悔やみの言葉が、心の中に残りました。

先生たちだって、反省や後悔をしているかもしれないと想像しました。

 

でもいくつもの間違いを見つけたり、責任逃れのような箇所を読むと、

全部が適当に書かれているような気もして、先の言葉も軽く感じられてきました。

 

いま読んで気になったのは、

「ご理解いただけなかったことは残念ですが」

というフレーズ。これまでの書面より一見丁寧な言葉のようだけど、

この言葉が意味するのは、

病院は精一杯の治療を行ったけれど、

それを私が理解していない。


ということ。

 

今後こんなことがないようにしてほしいと話して転院していった、ただのクレーマーだったんじゃないかと、

分からなくて確かめたかったことが、

このフレーズからも、やっぱりそうだったような気がしてしまいます。

 


この陳述書に書かれた言葉が、どこまで本音か分からないけれど、


少なくとも先生方が母の治療を振り返って考えたはずです。



 これからどうなるか分からないけれど、

勝ち負けに関わらず

医療訴訟を起こして良かったと思います。