雛を飾る | 果樹園のティータイム

果樹園のティータイム

毎日の生活の中で、ちょっと素敵だなと思った事や見つけたささやかな幸せを綴ります。

毎年、同じものを同じように飾る。
それもそれは楽しいよね。


3月の雛飾り。


でも雛は早く出すから、3月の飾りというのではなく2月の飾りというべきなのでしょうね。





 ずっと昔に作った飾りを思い出したように飾ってみました。

ふと思いついて、飾りを出したので、桃の花や菜の花のようなものはなかったのでした。
仕方がないので、梅の花。

100均で買ったチープな花ですが、それでも華やかになるからいいですよね。





我が家の女性は私と猫だけ。

だけど実家に帰れば、女がワイワイ。

月一回の実家帰りを実行しています。
と言っても今日の打ち合わせでは、3月はおやすみになりそうですが。

その実家帰りは、前は一人で行っていましたが、今は姉妹みんなで日にちを合わせて行くようになりました。

母と姉妹と姪と又姪と、昼間の我が実家には女が7人。とっても賑やかなんですよ。

お昼と買い物に出掛けた先のお茶代と夜と朝と、またお昼とおやつのケーキ代と、みんな母がご馳走してくれます。


私は姑とお食事する時は、出して貰うばかりということが出来ないで、
「今日は私が出します。」なんてカッコつけちゃうことがあるんだけれど、それが母になると、

「出してください!!!」となってしまうのは、やっぱり甘えたいんですよね。
姑とも仲良しですが、このような甘えが出るのは、やはり血は水より濃いということなのでしょうか。


「帰省は寄生だな。」などと笑い合っている私達ですが、このように書くと、なんと恐ろしい黒い姉妹のようですね。


でもその母の密かな楽しみは、財産のない我が家なので自分の年金をちょっとずつ貯めて、いつか母がこの世を去るときには、わずかに貯まったそのお金を私達に残すことなのです。

だから私達は言います。
「この世の中にはね、100歳生きてもぴんしゃんと生きてる人もいるのよ。お母さんも100歳まで生きてね。1年でも長く生きて、私達にお金をいっぱい残してね。」

歳を重ねると、少々頭も硬くなってしまうのですよね。そのように言うと
「そんなには生きられないと思うわ。たぶん後・・・」

いやいやいや、占い師じゃないんだから、自分の死期を当てようとしなくていいから。

「だからさ、それは気持ちの話だよ。そのぐらいの気持ちでいてねってことよ。」と解説する私。



そんな事を言いながら、ふと母が居なくなってしまった世界を想像してみたり・・・・・・。。

それって凄く寂しいですよ。

やっぱり母には1年でも長くって思うわけですが、それって実は私達も元気で生きるってことなのですよね。
逆縁の親不孝など絶対にしてはいけないのです。

私達も元気で生きて、そして母が残してくれたお金をいつかちゃんと受け取る事が大切なことなんだなとしみじみと思った昨日今日でした。


雛の祭りは女の子の健康と幸せを祈る祭りです。
もうとっくのとうに「子」という文字は取れてしまったのですが、それでも母や姉妹たちの変わらない毎日を、いくつになっても祈らないわけにはいかないのです。