New Yorker (Dec. 14, 2021)

Michael Nesmith Made It Fun

マイケル・ネスミスがそれを楽しくしてくれた

What it was like to write comedy for the late visionary

先見の明があった故人のためにコメディーを書くとはどういうものだったのか

by Jack Handey

 

編集者より:ソングライターで俳優のマイケル・ネスミスは12月10日、78才で他界した。ネスミスはモンキーズのメンバーとしてよく知られているが、その他にも多くの事に携わってきた。テレビ制作もその内の一つである。

 
 
テレビ番組でコメディーを書く事は精神的な疲れとイライラが伴うものです。マイケル・ネスミスはそれを楽しいものに変えようとして、まさに成功したのです。
 
1985年、僕は彼のTV番組 "Michael Nesmith in Television Parts" の脚本家として雇われました。彼は僕や他の脚本家、ビル・マーティン(モンキーズにも楽曲提供のあるソングライター兼脚本家兼俳優兼声優)、ジョン・レヴェンシュタイン(後にプロデューサーとしてエミー賞受賞)、マイケル・カプラン(後にプロデューサーとしてエミー賞受賞)に甘やかされた子供のような待遇を用意してくれました。
 
ひとりひとりにただの事務所ではなく、専用のバンガローが与えられていました。メインのミーティングルームには沢山のアーケードゲームが設置されていて、僕はそこでテトリスを覚えました。ポップコーンの機械もあったし、山のようなお菓子もありました。
 
ネズ(僕たちは彼をそう呼んでいました)は僕たちがゲームをしているところにやって来て、「順調かい?みんな楽しんでる?」みたいなことを言っていました。彼は撮影がない時は自転車でスタジオを走り回って、手を振ったり、いつも感じが良くて、物腰の柔らかい人でした。

 

彼のコメディー・センスは素晴らしかったです。彼は映画「レポマン」の製作総指揮もしていました。彼はジョージ・メイヤーの伝説の雑誌 "Army Man"(1980年代に発行されたコメディー雑誌、キャッチコピーは「アメリカで唯一の雑誌」)のファンで、"Television Part" ではウーピー・ゴールドバーグやギャリー・シャンドリングなど、後に有名になるコメディアンを数多く起用していました。
 
僕の "Deep Thoughts" の風刺詩は彼のTV番組で初めて映像化されたんです。さっきも言ったように、彼のコメディー・センスは抜群なんです。
 
"Television Part" はとんでもなく可笑しな番組でしたが、視聴率的には失敗でした。僕はいくつかゴールデンタイムのコメディー番組に関わりましたが、どれも好成績でした。何故かは分かりませんが、早めの時間はシチュエーションコメディが好まれるんです。
 
ネスミスと僕は時々連絡をとっていました。彼の素晴らしい回顧録 "Infinite Tuesday" の推薦文を書いて欲しいと彼から頼まれたときは、喜んで書かせてもらいました。
 
2、3年前、"Television Part" の脚本家の同窓会があって、彼のカーメル・ヴァレーの家に招待されたんです。彼は「ちょっとマッシュルームを試してみよう」と言ったそうです。僕も行くべきでした。ネズと一緒なら、何だって楽しくなるんです。
 

 

訳注:ジャック・ハンディーは「サタデー・ナイト・ライブ」の脚本家・プロデューサー、"Deep Thoughts" (シュールなユーモアの本や映像作品のシリーズ)の作者として有名。

 

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