Variety (May 21, 2021)

Micky Dolenz on Why the Monkees are Doing a Farewell Tour and His New 'Dolenz Sings Nesmith' Album

by A. D. Amorosi

 

モンキーズの最後のツアーが発表され、今週は新しいアルバム "Dolenz Sings Nesmith" も発売された。このアルバムは彼の友人であり、洗練された作曲家であり、愛すべき相棒へ捧げるトリビュートである。ミッキー・ドレンツは二兎を追うことができたわけだ。

 

2012年のデイビー・ジョーンズ亡き後、ギタリスト/作曲家のマイク・ネスミスがモンキーズに復帰したが、これが初めてではなかった。TV番組用に結成された60年代のポップ・ミュージック・グループは1971年に最初のフィナーレを迎えた。しかしながら、ボーカル兼ドラマーのミッキー・ドレンツとの友情、そして1965年から分かち合ってきたコミカルな仲間意識が再燃したのだ。彼らは「新しいTVシリーズに出演する、フォーク&ロールのミュージシャン」を募集するデイリー・バラエティーの広告を見て、集まったのだった。

 

2012年からドレンツとネスミスはもう一人のオリジナル・メンバー、ピーター・トークと「モンキーズ」という名のもとでツアーを行ってきた。トークは2019年に亡くなるが、二人は「マイク&ミッキー・ショー」と銘打ってツアーを続けた。ドレンツはソロとしてのキャリアも長いが、"Dolenz Sings Nesmith" は特別だった。彼らの1970年の映画 "Head" (原文のまま)のために録音された "Circle Sky" を除くと、ネスミスがモンキーズの作曲家としてチャートをにぎわせた曲をカバーしたというよりも、むしろネズのカントリーへの傾倒やそれぞれのテキサスとの関わりを思わせる。"Dolenz Sings Nesmith" のプロデュースはネスミスの息子、クリスチャンで、彼はモンキーズ最後のツアーにも参加することになっている。

 

モンキーズのさよならツアーは9月のワシントン州スポケーンから始まり、11月のロサンゼルスで幕を閉じる。お馴染みの曲からレアな曲、"Dolenz Sings Nesmith" からも選曲される予定だ。バラエティーはロサンゼルスでモンキー・アラウンドしているドレンツに話を聞いた。

 

VARIETY: 友人とバンド・メンバーを失った悲しみを乗り越えて、ネスミスとふたりで「マイク&ミッキー・ショー」をすることになり、それが "Dolenz Sings Nesmith" につながる訳ですが、その企みについて教えてください。


DOLENZ: デイビーがいなくなってから、ピーターまでいってしまって、マイクと僕はどうしたらいいんだろうと思った。それから、ファンが望んでいるのは僕たちが表に出ることだと気づいた。プロモーターや僕たちのマネージメントも同じだった。みんながネズと僕に会いたいと望んでくれた。マイクと僕はモンキーズとしてやれるなんて全然思ってなかったんだ。自分たちをツーキーズとは呼べないし、バカげてる気がした。だけど、エージェントの1人が「モンキーズが贈る...」というのはどうかって提案してくれて、それならイケると。1960年代のTV番組でマイクと僕がやっていた頃を思い出せるしね。

 

あなた方ふたりは共通の音楽的センスやユーモアの感覚でつながっているからですね。

 

その通り。アドリブに関しては、バッチリだった。セットで喜劇的な小芝居をしながら、アドリブを入れるとすごくウケた。冗談抜きで、お互いよく言ってたんだ、「いつか『マイク&ミッキー・ショー』なんてのができるね」ってさ。そして、僕たちはまた元の場所に戻ってきた。彼と僕は確かにコメディーの波長が合うけど、音楽的にも合うんだ。うまく調和がとれている。ネズがテキサス州ダラス近郊の出身というのは知られているけど、僕の母もオースチンの出身なんだ。母はハリウッドに移り住んで、僕はサンズ・オブ・ザ・パイオニアーズやテネシー・アーニー・フォードを聞いて育った。僕はカントリー・ウエスタンにたくさん影響を受けてきた。ネズも当然そうだった。だからTVショーやツアーのリハーサル中に、さながら焚火を囲むかのように、彼と僕が歌うようになったのは、常にネスミス作の曲だった。

 

その頃、自分の曲を書いていたのは4人のモンキーズの中では彼だけでしたね。
 

どれもすごく良かった。僕たちは座り込んで、フォーク・ソングを歌い、ハーモニーをつけた。でも本当に彼の音楽で始めたんだ。僕はいつも彼の音に乗せて、第3音(根音の2つ上、和音の基本)でハーモニーをつけていて、「エバリー・モンキーズ」なんて呼んでいた。僕はエバリー・ブラザーズも大好きだったから。僕とネズの声のブレンドはいつでもすごく良かった。

 

NBCのモンキーズの番組での、あなたとネスミスのアドリブの相性について話されてましたが、当時の段階で、本格的に演技のレッスンを受けてTVや舞台の経験があるあなたと、対照的に初心者だったネスミスでは、あなたが主導権を握っていたということでしょうか?

 

面白いこと言うね。僕が「サーカス・ボーイ」に出演した経験があるのは本当だ。ただそこではアドリブの経験はないんだ。典型的な台本のある映画の現場に行ったら、台詞を覚えて、書かれた通りに台詞を言って、家に帰る。アドリブなんてしたら、クビになっちゃうよ。つまり、即興の演技は教わってなかったんだ。だから、最初の頃は気まずい感じがしたんだけど、そこへ即興が得意な俳優、ジェームズ・フローリーが来た。彼はTVショーで何話か監督をやって、エミー賞も取った。フローリーはマイク・ニコルズとエレイン・メイのセカンド・シティ(シカゴを拠点とする即興コメディ劇団)の出身で、僕は苦手だった。でも、ネズは受け入れて吸収していって、それで僕も影響を受けた。その逆もしかりで、マイクは僕からテレビの製作過程やシステム、脚本作りといったものを覚えていった。彼にとっては初めてのことだったんだ、彼の言葉を借りれば、僕についてきてくれた。僕たちはお互い助け合ったんだよ。

 

モンキーズの最初の解散からネスミスがグループを離れていた時期が長かったことや、単発的に復帰することもありましたが、あなたは長年続けていましたし、後は年齢的なことを考慮すると、彼が復帰した時と最初に脱退した時ではあなたたちは同じだったんでしょうか?

 

モンキーズを典型的な「昔ながらのロック・バンド」だと見ているのなら、「脱退」とか「復帰」という言葉を使うことができるけど、僕たちはそうじゃない。僕たちはグループじゃない。僕たちはTV番組のキャストなんだ。あくまでも僕の考えだけど、今までもそうだったし、これからもそうだ。

 

HBO Max の「フレンズ:ザ・リユニオン」みたいなものですか?

 

もしくは、ブロードウェイ・ミュージカルのオリジナル・キャストみたいな感じ。キャストはそれぞれ別の道を歩み、ショーは続く。そして、最初のキャストによるリバイバルがある。モンキーズはそういうものなんだ。1986年の再結成にマイクが参加しないことを選んだ時、僕は「そりゃ、残念」て感じだった。他の再結成で彼が参加しなかった時もそんな感じだった。でも、マイクは自分が経営する大きな制作会社があるんだ。彼が復帰して、僕たちに加わった時は最高だった。オリジナル・キャストによるリバイバル上演だよ。

 

"Dolenz Sings Nesmith" はどういう経緯で始まったんですか?ネスミスの曲をあなたが歌うための基準は何でしたか?

 

60年代から70年代にかけての僕の親友はハリー・二ルソンだった。ソングライターとして、彼の最初のヒット曲は僕たちモンキーズの "Cuddly Toy" だった。彼がレコードを出せるようになった時、アルバム "Nilsson Sings Newman" を作った。ハリーがランディー・ニューマンの曲を歌っているアルバムだ。そのレコードを作っていた時、僕は彼と一緒にスタジオに居て、今でも大好きなんだ。マイクに話を進めると、デイビーが亡くなった頃は僕はピーターと一緒だった。リハーサルをしている時、僕は急にひらめいた。それで、マイクに僕の思いつき、彼の曲でアルバムを作るということを話した。そしたら、彼は(マイクの口真似で)「うん、それはいいアイデアだね、ミッキー」って言ったんだ。それから何回もツアーをして、"Good Times!" をやって、ある時僕のレーベル(7a)にオリジナル・アルバムのアイデアがないかって聞かれた。プロデューサーの候補が何人か上がったけど、僕はすぐにクリスチャン・ネスミスを思い浮かべた。彼の事はベビーベッドに入る頃から知っているし、「マイク&ミッキー・ショー」のメンバーだしね。いよいよレコードを作る時が来たと思ったけど、僕は作品に近すぎると感じた。つまり、僕はマイクの曲が全部好きなんだ。モンキーズも、ファースト・ナショナル・バンドも、ソロの曲も。だから彼の専門家としての目が必要だった。アンドリュー・サンドーヴァル(モンキーズのマネージャー)は全員のカタログを何もかも知っているし、ネズの曲ももちろん入ってるから、製作に加わってもらった。僕たちは座って、思いつくまま曲名を上げていった。僕たちがやりたいのは単なるカラオケ・バージョンじゃないってことは明確だった。再認識が必要だったんだ。

 

ネスミスの "Listen to the Band" や人気の高い "Joanne" は候補に上がりましたか?

もちろん。でも、ヨーデル抜きで "Joanne" ができると思うかい?僕はできない。だから、君に聞かれてるように、予想通りにしない、普通のカバー・バージョンにはしないという基準になった。クリスチャンがすごくて、パンデミック中だったからほとんど彼ひとりで、それぞれの曲のために素晴らしいトラックを用意してくれたんだ。2、3人は電話で参加してもらったけど。こういう再構築は簡単なものじゃない。だって、ビートルズの素晴らしいカバーって、どれだけあると思う?でも、"Circle Sky" でクリスチャンがした仕事を聞いてほしい。すごく想像力豊かでシュールなんだ。

 

メロディーへのこだわりなのか歌詞なのか、"Dolenz Sings Nesmith" の歌はあなたの声を解放していますね。ここまで朗々と円熟した歌い方はしてこなかったと思います。この作品にぴったりじゃないでしょうか。

 

ありがとう。そうなんだ。クリスチャンのアレンジとプロデュースのお陰で、僕も良くできたと思う。僕は意図してオリジナルは聞き返さなかった。いくつかの曲 "Different Drum" とかは難しかったけど、結果として素晴らしいものができた。昨日、ネズと直接会って一緒にランチしたんだけど、その時ネズが「ミック、僕はこのアルバムが好きだし、何より誇りに思うよ。」って言ってくれたんだ。

 

歌詞でいうと、かなり内省的なレコードですが、何か感情的に揺さぶられたり、難しかったところはありましたか?

 

それがあってね。ある曲に対処するために結局再構築したアレンジになって、"Nine Times Blue" なんだけど。本当に美しい曲で、彼のベストの一つだ。僕はバンドじゃなく、グランドピアノと僕だけでやるというアイデアがあった。それで僕たちは本物のグランドピアノが欲しくて、スタジオを予約して、ソーシャルディスタンスをとってやった。この曲を歌うと大切な思い出が溢れるようによみがえってくる。スタジオのマイクを通してクリスチャンがそう言ってきたものだから、僕は歌っている時に声が掠れてしまって。彼が暖かいお茶を入れようかって聞いてくれたから、僕は泣いてたことを白状したんだ。

 

あなたはモンキーズの一人として、マイケル・ネスミスのベスト曲のみならず、ニール・ダイヤモンドやボイス&ハート、ゴフィン&キングにポール・ウィリアムスの曲、更に最近はリヴァース・クオモやアダム・シュレシンジャーのような新世代のアメリカのヒット曲も歌っています。他の物と比較せずに、どうやってネスミスの曲をその中に適合させたんですか?

 

素晴らしい曲は素晴らしい曲だってこと。僕は最初からそういう素晴らしいものを提供してもらっていて、恵まれている。それだけすごい素材があったら、しくじる方が難しい。僕はプロデューサーではないし、一流のスタジオ・ミュージシャンでもないから、スタジオでは常にクインシー・ジョーンズと一緒だったフランク・シナトラみたいなアプローチをするしかない。僕はただ歌うだけだ。イギリスのことわざで言うように、「犬を飼うなら、自分で吠えるな:人の仕事に手出しは無用」ってこと。一つ一つ管理しないこと。そうやって、モンキーズや僕のソロ・アルバムでは数々の素晴らしいプロデューサーの恩恵を受けてきた、ボイス&ハートからシュレシンジャーまでね。彼の冥福を祈ってる。

 

シュレシンジャーの追悼オンライン・イベントに参加しましたよね。まだあなたの中に彼が残っているのが分かります。彼を象徴するものは何でしょうか?

 

失ったものがあまりにも大きい。彼は本当にすごかった、僕が一緒にやってきたプロデューサーの中でも最高だった。彼は欲しい物が分かっていて、それを手に入れることについてはかなり頑固だった。頑固というと言葉が強いかもしれないけど、彼にはビジョンがあって、それを実行していただけだった。そこが尊敬できるところだ。彼は僕のアイデアやバリエーションを喜んで聞いてくれたし、それが有効だと思えば、それでいいし、ダメなら、ダメなんだ。僕は、匂わせるだけのディレクターより、明確なビジョンを持ったディレクターが好きだった。

 

あなたもネスミスも個人的にも仕事の面でも絶好調だと思うのですが、どうしてやめてしまうのですか?何故、このツアーを最後と呼ぶのですか?

 

僕は76才だし、ネズは78才だ。この先2年3年で次のツアーを再開するのはちょっと難しい。僕がソロ・ツアーをやることがあるかもしれないけど。マイクと僕が1日だけ一緒にやるとか、、、先のことは分からないよ。今回のツアー、モンキーズのツアーとしては本当に長くて、僕にはまあまあ長くて、これで足りるんじゃないかな。ツアーって重労働なんだ。ネズと話したけど、彼も同じような感じだった。でも、僕たちは最高のショーを見せるし、ファンに会うのを楽しみにしてる。

 

最後の総まとめの理由が年令的なことだとおっしゃいましたが、感傷的なことは抜きにして、マイク&ミッキーのツアー中にマイクが心臓弁膜症の手術を受けたことで、モンキーズとして最後の声明を出す必要性に駆られたのでしょうか?

 

いつだって最後のツアーだよ、次があるまでは。このニュースだって、僕はちょっと驚いた。何が起こるかなんて、誰にも分からない。

 

最後に、丁度「ロックの殿堂」が2021年度を発表したところですが、彼らはいまだにモンキーズを加えようとしません。おそらく、モンキーズはそのレコードのほとんどで、自分たちで演奏していない、という不可解な汚名によるものでしょう。当時のバンドはほとんどがそうでした。モンキーズだけが非難されたんです。「ロックの殿堂」は検証アプリではありません。しかし、55年経っても、、、。

 

前にも言ったことがあるけど、「ロックの殿堂」は招待制のクラブなんだ。僕は全然気にならない。君の指摘は的確だ、僕たちはクソったれな侮辱を甘んじて受け入れた、おっと失礼。バーズやビーチ・ボーイズもよくやっていたんだけど、皮肉だよね。当時の録音技術はすごく難しくて、費用も高かったから、みんなやっていた。ロジャー・マッギンが言っていたんだけど、レッキング・クルーを使うのは1曲を3回で録音できるからなんだ。バーズがやった時は、73回かかった。しかし、僕たちはクソったれな侮辱を甘んじて受け入れた。おかしなことだが、僕たちには選択肢がなかった。僕たちはTV番組のキャストだったからね。