2輪でレース活動を行った後、4輪レースに転向。
1967年よりフランスF3に参戦し、1971年にはチャンピオンを獲得。
1972年はF1、1973年はF2にスポット参戦、1974年はF1と同時にヨーロッパF2に参戦して4勝を挙げチャンピオンを獲得した。
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1972年
ポールポジション 0回 優勝 0回 ファステストラップ 0回 獲得ポイント 0P
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ティレルのサードドライバーとして2度スポット参戦。
デビュー戦の第6戦フランスGPは周回数不足で完走扱いにならなかったが最終戦アメリカGPでは7位でフィニッシュした。

1974年
ポールポジション 1回 優勝 0回 ファステストラップ 1回 獲得ポイント 14P ランキング 9位
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この年からフル参戦を開始、開幕戦6位で初ポイントを獲得。
第7戦スウェーデンGPで初のポ-ルポジションとファステストラップを記録。

1975年
ポールポジション 0回 優勝 0回 ファステストラップ 1回 獲得ポイント 12P ランキング 9位
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1976年
ポールポジション 0回 優勝 0回 ファステストラップ 1回 獲得ポイント 39P ランキング 4位
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ティレルは第4戦スペインGPにP34をデパイユのドライブで1台だけ出走、6輪車でF1に参戦した最初のドライバーとなった。

1977年
ポールポジション 0回 優勝 0回 ファステストラップ 0回 獲得ポイント 20P ランキング 9位
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P34で参戦するがグッドイヤーが新規参入してきたミシュランとのタイヤ競争の影響で特注の小径フロントタイヤの開発規模が縮小される。
これにより開発の進むリアタイヤと開発の停滞したフロントタイヤとのグリップバランスに悩まされ成績が低迷、その結果P34はこの年で退くことになった。

1978年
ポールポジション 0回 優勝 1回 ファステストラップ 0回 獲得ポイント 34P ランキング 5位
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第5戦モナコGPで予選5位から初優勝、中盤以降リタイアが多くなったが7度の入賞を記録した。

1979年
ポールポジション 0回 優勝 1回 ファステストラップ 1回 獲得ポイント 22P ランキング 6位
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リジェに移籍、第5戦スペインGPで2度目の優勝を飾った。
しかし、第7戦モナコGP終了後にハンググライダーの事故で両足を骨折、残りのレースを欠場する事態となりシーズンを棒に振った。

1980年
ポールポジション 0回 優勝 0回 ファステストラップ 0回 獲得ポイント 0P
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アルファロメオからF1に復帰。
決勝ではリタイア続きだったが予選では次第に速さを見せるようになる。

1980年8月1日、デパイユとチームはドイツGPを9日後に控えたホッケンハイムリンクにて、マシンテストを行っていた。
しかし、テスト開始から間もなくオストカーブでコースアウトしてクラッシュ。
デパイユは病院へと搬送されたが、救急車の中で死亡が確認された。享年35.
テスト中の事故ということもあって目撃者がおらず、正確な事故原因は特定されていないが、空力パーツのトラブルによる可能性が高いとされている
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2010年 5月10日第1版
2011年 2月23日増補改訂第2版
2011年 9月04日増補改訂第3版
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2016年 8月09日増補改訂第5版