Formula Beginner

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初心者向けのF1解説ブログです。
多くの人がF1に興味をもって、好きになってもらいたい。
そのきっかけの一部になれたら・・・
そう願って毎回書かさせて頂いています。

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日本人はもちろん、ドライバーも含めた世界的にも人気のサーキット、鈴鹿。その鈴鹿でのF1日本グランプリが今年もいよいよ始まる。

鈴鹿でのF1日本グランプリは、初開始から2000年代前半まで、チャンピオン決定の舞台として数々の名場面を演出してきた。昨年もセバスチャン・ベッテルが史上最年少の2年連続チャンピオンを鈴鹿で決め、大いに盛り上がった。
しかし、開催数の増えた近年のF1では、鈴鹿が昨年のようなチャンピオン決定の舞台になることを見る機会は減ってきている。

とはいえ、F1グランプリのカレンダーの中でも注目のグランプリの一つであることは変わりなく、今年も初日の金曜日フリー走行から非常に楽しみである。

この鈴鹿サーキットでの日本グランプリを見るにあたって、注目点はいろいろあるだろう。が、あえてここで一つポイントを上げてみよう。

それは、近年の鈴鹿は予選が非常にキーポイントになってきているということ。

当然、どのグランプリも、スタート順位、すなわち予選結果は重要である。
そして特に鈴鹿のような抜き難いといわれるサーキットでは、その重要度は非常に高い。
しかし、ここで言いたいのはそういうことではなく、近年の鈴鹿の予選をなにもなく終えることが非常に難しくなっている。そうなると当然、そんな予選を高順位で終えることは、また一段と難しくなるだろう。

過去10年間、計8回の鈴鹿の予選での出来事を簡単に振り返ってみよう。

2002年、トヨタのマクニッシュのクラッシュによる、コース復旧のため異例の一時間以上のセッション中断。
2003年、予選セッション終盤の雨で、チャンピオン争いのシューマッハ、ライコネンが共にグリット後方に沈む。
2004年、台風の接近により土曜日の予選セッションの延期。F1史上初の予選が日曜日の午前中に。
2005年、予選セッション終盤の雨で、新チャンピオンアロンソ、この年最速のマクラーレン、ライコネンら上位が揃って下位に沈み、トヨタのラルフとBARのバトンのフロントロー。
2006年、過去10年では唯一、スムーズに行えた予選。
2009年、4回のクラッシュで3度の赤旗中断、5人のグリッド降格ペナルティーが出る、荒れた予選。
2010年、豪雨により予選セッションの延期。再び、日曜午前の予選に。
2011年、予選Q3のラストアタック直前、ハミルトン、シューマッハ、ウェバーがシケインで交錯。アタックラップに入れず。

このように2006年以外は必ず何かしらの出来事が起こっている鈴鹿の日本グランプリ予選。

正直、一つ一つの出来事ならば、シーズン中に一度や二度は起こる可能性はあると思う。
しかし、これは全て近年の鈴鹿の日本グランプリの予選でのみにおいて。
世界でも有名なドライバーズサーキットということで、コース上でのドライバーによるものが多くの原因かと考えがちだが、実際はそれと同じくらい天候も影響している。

鈴鹿での過去10レース、ポールポジションからの優勝が70%。フロントローを含めると80%。

混戦のシーズンの2012年の鈴鹿。誰がレースを制するのか本当に楽しみだが、近年決勝以上にいろいろ起こってきている土曜日の予選。
鈴鹿のレースウィークエンド、もしかすると一番面白いセッションは土曜日の予選かもしれない。

他のドライバーのみならず、天候をも制さなければならない、鈴鹿のポールポジションを得るのはどのドライバーか。

注目の日本グランプリがいよいよ今週末始まる。

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2012年のF1。毎年シーズンが始まる前、特にニューマシンが発表、テストされるまでは、それほど目ぼしいニュースや出来事も少ない。しかしその分、新シーズンに向けた期待、想像は尽きない。


その中で間違いなく一つの楽しみになるであろう、そして、もしかするとその中心は2007年のチャンピオン、キミ・ライコネンのF1復帰だろう。


2009年末にフェラーリを離脱、同時にF1からラリーに転向してから、彼のF1復帰の話題は途絶えることはなく、事あるごとに名前は出てきた。


そして昨年末、ついに2年ぶりのF1復帰が決定した。

あのライコネンがF1に帰ってくる。

と同時に、果たして彼のパフォーマンスは以前と変わっていないのか。疑問、または不安な声は多い。


それもそのはず。最近のいい比較対象として、3年間のブランクから復帰したあのミハエル・シューマッハの例があるからである。シューマッハは、復帰して以来の2年間で優勝はおろか表彰台すら獲得できず、チームメイトに2年連続で年間ランキングで負けるなど苦しい状況に立たされているからだ。


しかし、たしかに同じ元F1チャンピオンではあるが、年齢も違えば性格もまったく異なる2人。それを比較するのもあまり意味がないのではないかと思う。そもそも、復帰するチームやマシン、時期等の復帰の環境は全く異なるものなのだから。


ニューマシンの発表前の今現在、焦点とすれば、2009年の最終戦以来、一度もF1マシンに乗っていない彼が、今のF1マシンへの慣れ、感覚を取り戻すのに果たしてどのくらいかかるのか、というところだろう。おそらくこれが今年彼自身のパフォーマンスに直結するであろう一番の事柄だからである。

しかし目に見えにくい部分なので、正直非常に予想は難しい。


そんなライコネンの慣れについて予想する上で、一つのポイントになる時期が過去にあった。

2006年から2007にかけてのオフシーズンだ。

2002年から2006年まで在籍していたライコネンは、2007年、シューマッハの後継者としてフェラーリへ移籍した。契約の問題でライコネンのフェラーリでのテストは年が明けた2007年から行われた。


チームメイトは当時フェラーリドライバーとして2年目のフェリペ・マッサ。

このマッサとの比較でライコネンが当時の初めて乗るフェラーリのマシンを、結果として彼をチャンピオンとしたマシンを、どのように慣れて自分のものにしていったのか。

この点を振り返ることで、彼の慣れの部分が少し見えてくるかもしれない。



2007年。年が明け、1月中のほとんどのテストで、フェラーリは経験のあるマッサに新車、ライコネンにはフェラーリのマシン学習のため昨年型のマシンでテストを続けてきた。

よって条件をなるべく近付けるため、2人が同じ新車でのテストが行われた1月31日以降のテストで比較してみよう。

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1月31日以降、2007年開幕戦まで、13日間2人が同じ日にテストをした日があった。


結果から言うと、マッサの9勝4敗だった。


シューマッハの後継者として期待されたライコネンにとってはあまりに物足りない結果なのではないだろうか。

確かに同じチーム、同じマシン、同じサーキットでではあるが、あくまでシーズン前のテストであり、2台のマシンの置かれているコンディションは間違いなく違うだろう。

しかし、それを考えに含めても、ライコネン大丈夫?となってしまう結果である。

しかもこのライコネンの4勝の内の3勝は、初回のテストから4回目のテスト間での結果である。

より重要になる、テストシーズン中盤から開幕戦に向かうテスト終盤にかけては9対1。

いくらマッサが一年経験があるとはいえ、ひどい結果である。


さらにこれだけではない。

シーズンが開幕したあともこの比較を続けてみると、開幕戦オーストラリアでのフリー走行計3回ではマッサの2勝1敗(予選はマッサのマシントラブルで比較できない)

続くマレーシアGPはフリー走行計3回と予選で4勝0敗。


第3戦のバーレーンGPでやっとライコネンの3勝1敗。

スペインGPで1勝3敗

モナコで3勝0敗(予選でライコネンはクラッシュし、比較できない)。


やっとマッサと互角以上のタイムを記録するようになっていった。


結果としてはこの年にチャンピオンとなるライコネン。しかしマシンにすんなり馴染めたかというと、この数字を見る限りは、慣れるのが早いとはとてもいえないだろう。


2007年の開幕戦までのライコネンのフェラーリでの走行日は全部で20日間

さらに第3戦のバーレーンGP以前では、走行日は28日間まで伸びる。


2012年、今年は2回の旧型マシンでのテストと、2012年仕様の新車ではおそらく6日間。

開幕戦まで計8日間しかない。


さらに2007年はF1チームからF1チームへの移籍。

2012年、今年はラリーチームからのF1チーム復帰。


たしかにこの比較には無理があるかもしれないが、ライコネンのドライバーとしてのマシンへの慣れの部分がどのくらいなのか、本調子になるまでどの程度かかるのか、ちょっとした目安、参考になるかもしれない。


また、今回のチームメイトが同じく2009年以来のF1復帰のロマン・グロージャン。とはいえグロージャンは2009年シーズン後半の半年を走っただけで、ほぼルーキー扱いに等しいだろう。

そのため、タイム比較でライコネンの状態を判断するのは難しいこととなった。

当然、この話はライコネンがタイムで勝っていての話なのですが。

もし、仮に歯が立たないようだと・・・・やはりシューマッハ同様にライコネンも、という話になってしまうのかもしれない。


いずれにしろ、現在、可能な限りのチャンピオンがついにそろった2012年F1。

この期待の大きいシーズン。この期待通り、また期待以上の盛り上がりを見せていくには最後の6人目のチャンピオン、ライコネン。彼の活躍は絶対に不可欠である。

 

それを占なう彼の開幕戦までの走り、一つ注目である。


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2011年、チャンピオン決定の舞台となった鈴鹿サーキット。2003年以来の久々の鈴鹿でのチャンピオン決定の場面だった。



鈴鹿でF1が初めて開催された1987年から25年。富士で開催された2007・08年を除いてF1の舞台として毎年開催されてきている。


一つの見方として、ヨーロッパ圏外のレースにおいて、1987年当時のGPサーキットと同じ舞台で開催された2011年のサーキットは鈴鹿だけである。カナダGPのジル・ビルヌーブサーキットも、1987年以前から開催はされていたのだが、1987年に関してはカナダGPが未開催のため、1987年比較では鈴鹿が唯一である。



F1は西ヨーロッパ発祥のスポーツ。そのヨーロッパとの比較は厳しいが、その次に来るのは日本GPの鈴鹿。そういっても過言ではないような気がする。


セナやプロスト、マンセル、ベルガーが現役だった頃に始まった鈴鹿でのF1。


コースレイアウトもほぼそのまま、毎年秋に開催されている。



最近の鈴鹿のF1を見ていて思うのは、レースを映す様々なカメラアングルで撮られるサーキットの国際映像、やはり今見ても20年前となんら変わりはない。


ただ、そこを走るマシンは当然毎年違う。セナやプロストのマクラーレン、マンセルのウィリアムズ、中嶋悟のロータス。


時は流れ、ウィリアムズのビルヌーブ、フェラーリのシューマッハ、BARの佐藤琢磨、マクラーレンのライコネン、そして今はレッドブルのベッテル、フェラーリのアロンソの最新マシンが走っている。




同じ鈴鹿を見ているのに、なんだか近年は違和感を感じてしまう。コースだけがそのままなのが。


それも歴史がある証拠なのだろうか。


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そもかく、その鈴鹿サーキットをこれまでの25年間計23回のレースの中から印象的な場面を取り上げながら紹介してみよう。



ホームストレート。


鈴鹿のホームストレートは下り坂で近年のF1サーキットの中で決して長くはない。


もちろん毎年ここからレースがスタートするため、毎年と顔として印象的な場面を見せてくれる。


スタートの場面に限定すれば、やはり1988年。予選1位のセナがスタート直後にエンジンストール。しかしなんとかこの下り坂を利用し、エンジンを再び始動させ戦列に復帰、後方からの追い上げ劇の始まりとなった。1位のポジションへの逆転もまたこのホームストレートでであった。


1998年のミハエル・シューマッハもまた衝撃的だった。スタートがすでに一度やり直しになった2回目のスタート。予選1位のシューマッハがスタートシグナルが点灯するのを待っていたまさにその瞬間、なんとエンジンストール。セナのケースとは異なり、レーススタート直前でのトラブル。これはレースの進行を妨げたとして、再々スタートを最後尾からとされてしまう。そこから猛烈な勢いで追い上げるも、最後もこのホームストレートでタイヤがバーストし、リタイア。チャンピオンを逃している。



第一コーナー。(コース図:①)


数々のドラマがあったここではやはりこの2つが有名だろう。1990年のセナとプロストのスタート直後のこの1コーナーでの接触。セナ主張通らず、この1990年まで、1番グリッドはイン側のオフラインスタート。レコードライン上の2番手グリッドスタートのプロストにあっさり前に出られ、挽回を試みるセナは1コーナーで追突に近い接触。2人のレースは終わってしまう。


もう一つは2005年、ファイナルラップでのライコネンのアウト側から、これでもかと言わんばかりのオーバーテイクだろう。予選17番手からの優勝は鈴鹿史上最大の大逆転劇だった。





第2コーナー。(コース図:②)


1コーナーが有名な分、あまり目立たない2コーナーだが、しっかりとチャンピオン決着の場面を演出している。1991年のマンセル。セナにスタート直後から抑えられていたマンセルは1コーナーを通常よりもオーバーなラインで飛び込み、次の2コーナーでコースを飛び出し、スピンそしてリタイヤ。3度目のチャンピオンも無念な形で幕を閉じてしまう。


1996年のビルヌーブもまたここで、こちらはルーキー初のチャンピオンを逃すこととなる。


チャンピオン獲得条件は厳しい勝ったが、望みをつなぐ予選1位の獲得。しかしスタートに失敗、順位を落とし、追い上げていたレース中盤、リアタイヤが外れてコースアウト、リタイヤしてしまう。




S字。(コース図:③・④・⑤)


ここはなんといっても、鈴鹿初開催1987年の予選でのマンセルのクラッシュだろう。マンセル2度目のチャンピオン獲得のチャンスはこのクラッシュによりレースを欠場と同時に消えてしまった。


日本人ドライバーにとっても、1991年、中嶋悟の鈴鹿ラストランでのクラッシュ。1995年、F1最後の走りとなってしまう鈴木亜久里の予選でのクラッシュも、またこの場所でだった。





逆バンク。(コース図:⑥)


ここは1997年のアーバインだろう。序盤のスローペースなレースの中ではあったが、ここで見せたオーバーテイクはさすが日本のレース出身を見せ付けてくれたシーンだった。翌年、チームメイトのシューマッハが後方からの追い上げの際に、同じようにここでオーバーテイクを見せてくれたが、元祖はやはりアーバインだろう。



ダンロップカーブ。(コース図:⑦)


1993年のパトレーゼの大クラッシュ、2010年はロズベルグの左リアタイヤが外れクラッシュ。また1994年には雨中、リタイヤしたマシンを撤去中のマーシャルをスピンした他のマシンが跳ねてしまうという危険なアクシデントもあった。しかしここでもっとも有名なのは1992年、セナとホンダという組み合わせでの最後の鈴鹿のレースだろう。ヘルメットに日の丸を入れて臨んだこのレース。しかしレース序盤であっけなくトラブル発生。マシン止まってしまうのがこの場所だ。


さらに2001年、ジャン・アレジの生涯最後のレースも、ここで前方を走るライコネンのスピンに巻き込まれレース序盤で終わりを告げてしまう。


デグナー。(コース図:⑧・⑨)


近年、マシンのコーナリングスピード上昇に伴い、もっとも難しくなったコーナーのように感じる。鈴鹿で再開催され始めた2009年以降は、もっとも飛び出しやすく、クラッシュも多い。特にレッドブル系2チームは多く2009年はウェバー、ブエミ、アルグエルスアリ、2011年はベッテルが餌食になっている。2006年、当時引退宣言をしていた1位を走るシューマッハがエンジンブローしたのもこの場所。これにより事実上チャンピオン争いも決着を向かえ、8度目のタイトルは消えてしまった。



ヘアピン。(コース図:⑪)


抜きどころのポイントのようで意外とバトルが起きないのはここヘアピン。


しかしここでは2010年の小林可夢偉の5度に渡るオーバーテイクに尽きるだろう。


近年ほどオーバーテイクが難しいとされていなかった鈴鹿F1の開催当初でさえ、こんなシーンはなかったのだから、しかも完全なドライコンディション下で。本当に驚異的なシーンだった。





200R。(コース図:⑫)


ここはコーナーというよりも全開で走るストレート扱いのような区間。


なかなかドラマも少ないのだが、唯一にして最大は1993年のセナがプロストをオーバーテイクするシーンだろう。雨が降り始めた中をスリックタイヤで走行する2台。雨を得意とするセナと嫌うプロスト。あっという間に2人の差はなくなり、この200Rで順位は逆転する。セナとプロストの鈴鹿での最後の直接バトルであり、F1でも最後となる貴重なシーンである。



スプーンカーブ。(コース図:⑬)


ここもオーバーテイクのポイントと言うよりは次にくるバックストレートへの立ち上がりが重要となるコーナー。しかしそれを覆したのが、2003年のモントーヤのオーバーテイクだろう。オープニングラップでトップを走るバリチェロを鮮やかに交わして見せた。個人的にはこれが一番、予想の出来なかった鈴鹿のオーバーテイクのように感じる。





バックストレート。


ここは1994年の雨の中、アレジ対マンセルのデッドヒートだろう。再三アレジの後方車載カメラに映るマンセルのレッド2。マンセルらしいバトルもこれが鈴鹿最後で、F1でもこれが最後だったように思う。




130R。(コース図:⑭)


鈴鹿最大の高速コーナーで、F1でも有名なコーナーの一つ。2002年の予選でトヨタのマクニッシュがクラッシュ。ガードレールが壊れる大クラッシュを機にやや緩やかな形状に改修された。しかし依然としてチャレンジングなコーナーには変わりはない。2005年の当時新チャンピオンのアロンソがアウトからフェラーリ・シューマッハを豪快に交わすシーンが有名だ。





シケイン(コース図:⑮・⑯)


多くのバトルが見られた鈴鹿最大のオーバーテイクポイント。2003年最終戦、復帰初戦の佐藤琢磨とチャンピオン争い真っ只中のシューマッハの接触、2005年の失格処分へと繋がる佐藤琢磨とトヨタのトゥルーリの接触等、上位・下位争い関係なく数多くあるバトルや出来事の中で、やはり一番有名はやはり1989年のセナとプロストのチームメイト同士での接触だろう。


しかし個人的にはそのレースの前日、1989年の鈴鹿の予選でセナがポールポジションを獲得した、スーパーラップでのシケインへのブレーキングだろう。限界ギリギリのブレーキングでシケインに飛び込むセナのマクラーレン・ホンダはブレーキングでマシンの後方が左右にぶれる。当然、セナのステアリングにもその挙動の変化は見て取れるのだが、あんなマシンの挙動が乱れるまでの予選アタックは今のところこれが最後である。




最終コーナー(コース図:⑰)


セナがチームメイトのベルガーに優勝を譲る1991年のファイナルラップ。また翌年1992年にレース中盤ではあったが、前年同様にマンセルがパトレーゼに譲ったのもこの場所だった。



シーズン終盤に位置している日本GPとあって、チャンピオン争いの名場面となっていることが非常に多い。しかし、それだけではなく、今の鈴鹿にはいたるところにたくさんのF1の歴史が詰まっている。


現在の契約では今年、2012年までとなっているが、まだまだこんなものではない、この鈴鹿での新しい歴史の続きを見せてほしいものである。