2011年、チャンピオン決定の舞台となった鈴鹿サーキット。2003年以来の久々の鈴鹿でのチャンピオン決定の場面だった。
鈴鹿でF1が初めて開催された1987年から25年。富士で開催された2007・08年を除いてF1の舞台として毎年開催されてきている。
一つの見方として、ヨーロッパ圏外のレースにおいて、1987年当時のGPサーキットと同じ舞台で開催された2011年のサーキットは鈴鹿だけである。カナダGPのジル・ビルヌーブサーキットも、1987年以前から開催はされていたのだが、1987年に関してはカナダGPが未開催のため、1987年比較では鈴鹿が唯一である。
F1は西ヨーロッパ発祥のスポーツ。そのヨーロッパとの比較は厳しいが、その次に来るのは日本GPの鈴鹿。そういっても過言ではないような気がする。
セナやプロスト、マンセル、ベルガーが現役だった頃に始まった鈴鹿でのF1。
コースレイアウトもほぼそのまま、毎年秋に開催されている。
最近の鈴鹿のF1を見ていて思うのは、レースを映す様々なカメラアングルで撮られるサーキットの国際映像、やはり今見ても20年前となんら変わりはない。
ただ、そこを走るマシンは当然毎年違う。セナやプロストのマクラーレン、マンセルのウィリアムズ、中嶋悟のロータス。
時は流れ、ウィリアムズのビルヌーブ、フェラーリのシューマッハ、BARの佐藤琢磨、マクラーレンのライコネン、そして今はレッドブルのベッテル、フェラーリのアロンソの最新マシンが走っている。
同じ鈴鹿を見ているのに、なんだか近年は違和感を感じてしまう。コースだけがそのままなのが。
それも歴史がある証拠なのだろうか。

そもかく、その鈴鹿サーキットをこれまでの25年間計23回のレースの中から印象的な場面を取り上げながら紹介してみよう。
ホームストレート。
鈴鹿のホームストレートは下り坂で近年のF1サーキットの中で決して長くはない。
もちろん毎年ここからレースがスタートするため、毎年と顔として印象的な場面を見せてくれる。
スタートの場面に限定すれば、やはり1988年。予選1位のセナがスタート直後にエンジンストール。しかしなんとかこの下り坂を利用し、エンジンを再び始動させ戦列に復帰、後方からの追い上げ劇の始まりとなった。1位のポジションへの逆転もまたこのホームストレートでであった。
1998年のミハエル・シューマッハもまた衝撃的だった。スタートがすでに一度やり直しになった2回目のスタート。予選1位のシューマッハがスタートシグナルが点灯するのを待っていたまさにその瞬間、なんとエンジンストール。セナのケースとは異なり、レーススタート直前でのトラブル。これはレースの進行を妨げたとして、再々スタートを最後尾からとされてしまう。そこから猛烈な勢いで追い上げるも、最後もこのホームストレートでタイヤがバーストし、リタイア。チャンピオンを逃している。
第一コーナー。(コース図:①)
数々のドラマがあったここではやはりこの2つが有名だろう。1990年のセナとプロストのスタート直後のこの1コーナーでの接触。セナ主張通らず、この1990年まで、1番グリッドはイン側のオフラインスタート。レコードライン上の2番手グリッドスタートのプロストにあっさり前に出られ、挽回を試みるセナは1コーナーで追突に近い接触。2人のレースは終わってしまう。
もう一つは2005年、ファイナルラップでのライコネンのアウト側から、これでもかと言わんばかりのオーバーテイクだろう。予選17番手からの優勝は鈴鹿史上最大の大逆転劇だった。
第2コーナー。(コース図:②)
1コーナーが有名な分、あまり目立たない2コーナーだが、しっかりとチャンピオン決着の場面を演出している。1991年のマンセル。セナにスタート直後から抑えられていたマンセルは1コーナーを通常よりもオーバーなラインで飛び込み、次の2コーナーでコースを飛び出し、スピンそしてリタイヤ。3度目のチャンピオンも無念な形で幕を閉じてしまう。
1996年のビルヌーブもまたここで、こちらはルーキー初のチャンピオンを逃すこととなる。
チャンピオン獲得条件は厳しい勝ったが、望みをつなぐ予選1位の獲得。しかしスタートに失敗、順位を落とし、追い上げていたレース中盤、リアタイヤが外れてコースアウト、リタイヤしてしまう。
S字。(コース図:③・④・⑤)
ここはなんといっても、鈴鹿初開催1987年の予選でのマンセルのクラッシュだろう。マンセル2度目のチャンピオン獲得のチャンスはこのクラッシュによりレースを欠場と同時に消えてしまった。
日本人ドライバーにとっても、1991年、中嶋悟の鈴鹿ラストランでのクラッシュ。1995年、F1最後の走りとなってしまう鈴木亜久里の予選でのクラッシュも、またこの場所でだった。
逆バンク。(コース図:⑥)
ここは1997年のアーバインだろう。序盤のスローペースなレースの中ではあったが、ここで見せたオーバーテイクはさすが日本のレース出身を見せ付けてくれたシーンだった。翌年、チームメイトのシューマッハが後方からの追い上げの際に、同じようにここでオーバーテイクを見せてくれたが、元祖はやはりアーバインだろう。
ダンロップカーブ。(コース図:⑦)
1993年のパトレーゼの大クラッシュ、2010年はロズベルグの左リアタイヤが外れクラッシュ。また1994年には雨中、リタイヤしたマシンを撤去中のマーシャルをスピンした他のマシンが跳ねてしまうという危険なアクシデントもあった。しかしここでもっとも有名なのは1992年、セナとホンダという組み合わせでの最後の鈴鹿のレースだろう。ヘルメットに日の丸を入れて臨んだこのレース。しかしレース序盤であっけなくトラブル発生。マシン止まってしまうのがこの場所だ。
さらに2001年、ジャン・アレジの生涯最後のレースも、ここで前方を走るライコネンのスピンに巻き込まれレース序盤で終わりを告げてしまう。
デグナー。(コース図:⑧・⑨)
近年、マシンのコーナリングスピード上昇に伴い、もっとも難しくなったコーナーのように感じる。鈴鹿で再開催され始めた2009年以降は、もっとも飛び出しやすく、クラッシュも多い。特にレッドブル系2チームは多く2009年はウェバー、ブエミ、アルグエルスアリ、2011年はベッテルが餌食になっている。2006年、当時引退宣言をしていた1位を走るシューマッハがエンジンブローしたのもこの場所。これにより事実上チャンピオン争いも決着を向かえ、8度目のタイトルは消えてしまった。
ヘアピン。(コース図:⑪)
抜きどころのポイントのようで意外とバトルが起きないのはここヘアピン。
しかしここでは2010年の小林可夢偉の5度に渡るオーバーテイクに尽きるだろう。
近年ほどオーバーテイクが難しいとされていなかった鈴鹿F1の開催当初でさえ、こんなシーンはなかったのだから、しかも完全なドライコンディション下で。本当に驚異的なシーンだった。
200R。(コース図:⑫)
ここはコーナーというよりも全開で走るストレート扱いのような区間。
なかなかドラマも少ないのだが、唯一にして最大は1993年のセナがプロストをオーバーテイクするシーンだろう。雨が降り始めた中をスリックタイヤで走行する2台。雨を得意とするセナと嫌うプロスト。あっという間に2人の差はなくなり、この200Rで順位は逆転する。セナとプロストの鈴鹿での最後の直接バトルであり、F1でも最後となる貴重なシーンである。
スプーンカーブ。(コース図:⑬)
ここもオーバーテイクのポイントと言うよりは次にくるバックストレートへの立ち上がりが重要となるコーナー。しかしそれを覆したのが、2003年のモントーヤのオーバーテイクだろう。オープニングラップでトップを走るバリチェロを鮮やかに交わして見せた。個人的にはこれが一番、予想の出来なかった鈴鹿のオーバーテイクのように感じる。
バックストレート。
ここは1994年の雨の中、アレジ対マンセルのデッドヒートだろう。再三アレジの後方車載カメラに映るマンセルのレッド2。マンセルらしいバトルもこれが鈴鹿最後で、F1でもこれが最後だったように思う。
130R。(コース図:⑭)
鈴鹿最大の高速コーナーで、F1でも有名なコーナーの一つ。2002年の予選でトヨタのマクニッシュがクラッシュ。ガードレールが壊れる大クラッシュを機にやや緩やかな形状に改修された。しかし依然としてチャレンジングなコーナーには変わりはない。2005年の当時新チャンピオンのアロンソがアウトからフェラーリ・シューマッハを豪快に交わすシーンが有名だ。
シケイン(コース図:⑮・⑯)
多くのバトルが見られた鈴鹿最大のオーバーテイクポイント。2003年最終戦、復帰初戦の佐藤琢磨とチャンピオン争い真っ只中のシューマッハの接触、2005年の失格処分へと繋がる佐藤琢磨とトヨタのトゥルーリの接触等、上位・下位争い関係なく数多くあるバトルや出来事の中で、やはり一番有名はやはり1989年のセナとプロストのチームメイト同士での接触だろう。
しかし個人的にはそのレースの前日、1989年の鈴鹿の予選でセナがポールポジションを獲得した、スーパーラップでのシケインへのブレーキングだろう。限界ギリギリのブレーキングでシケインに飛び込むセナのマクラーレン・ホンダはブレーキングでマシンの後方が左右にぶれる。当然、セナのステアリングにもその挙動の変化は見て取れるのだが、あんなマシンの挙動が乱れるまでの予選アタックは今のところこれが最後である。
最終コーナー(コース図:⑰)
セナがチームメイトのベルガーに優勝を譲る1991年のファイナルラップ。また翌年1992年にレース中盤ではあったが、前年同様にマンセルがパトレーゼに譲ったのもこの場所だった。
シーズン終盤に位置している日本GPとあって、チャンピオン争いの名場面となっていることが非常に多い。しかし、それだけではなく、今の鈴鹿にはいたるところにたくさんのF1の歴史が詰まっている。
現在の契約では今年、2012年までとなっているが、まだまだこんなものではない、この鈴鹿での新しい歴史の続きを見せてほしいものである。