笑馬の馬券(ミスターシービーのように) -5ページ目

【21】朝日杯フューチュリティS(中山芝1600)

年の暮れも押し迫り、今年はアメリカのマーケットの凄まじさを大リーグによって知らされた。アメリカのレッドソックスが日本のライオンズの松坂を60億円で買い取った。そして松坂の年棒も相当な額だろう。さらにヤンキースがタイガースの井川を30億で買い取った。アンビリーバブルですね。


さて今年最後の笑馬の担当です。

札幌国際スキー場でラジオ中継で聞いたアイネスフウジンのレースが記憶に残ります。

前走の成績、順調さ、中柄な馬を狙ってみる。


さて京王杯組の⑮マイネルフォーグ④マイネルレーニアを狙うが(単勝なら⑮)、残る2頭は⑥アロマンシェス⑪オースミダイドウ。これらの4頭の馬連ボックス500円。

458 中京に挑戦

今日は中京に挑戦、まずは9レース。


①ナカヤマスナイパー②ダイシンチャンス⑥トラベルシティー⑧カイパーベルトでボックス。


中京が荒れるというhttp://ameblo.jp/keibacafe さんのブログによる。

457 サンレイジャスパー

鳴尾記念は⑯サンレイジャスパーを中心に狙う。買うのは平等なので、順番はない。相手はやはり③サクラメガワンダーだろう。⑨ヴィータローザ⑭オースミグラスワンまで。

456 10時半に渋谷あたり

職場の一番若い、それでも30代前半のt君が入籍したというので、有志で彼を囲んだ。

浜松町に近い中華で、祝った。

それで逆周りの山手線で池袋に向かっている。

いまごろドクターコトーだなとおもいながら。

455 飛行機の飛ぶ理由

ベルヌーイの定義により飛行機が空を飛ぶことが知られているが、これに疑義を呈する学者が現れたらしい。アンダーソン博士という人だ。わたしにはよくわからないが、飛行機が飛ぶ理由は正確には説明できないでいるらしいということだけはわかった。

電車でしか出張に行かないという人がそういえばいることをおもいだした。

454 まつやの気分



今日は早く社を出ることができたので、神田で降りて、まつやに向かった。


まつやは8時閉店だが、8時に入店してもぎりぎり間に合う。


今日はカレー南蛮そばを頼む。


そばがカレーに負けないまつやのカレー南蛮である。


まつやの店員さんはみなやさしいので、うれしい。



453 抱負

社報に載せる抱負という題の原稿を総務部に渡したら、総務部長から電話で添削された。総務部長は私の元上司で、わたしはこの電話をありがたいと心からおもった。

私は私の知人である会計学の大学教授との会話から物語をスタートさせて、ノンフィクションなのだが、確かに会計の計算は利益計算ではなく損益計算である。

人と人とのつながりなのかそうではないことなのか、よくわからない事例で、わたしがその話をすると、隣に座るs経理部長はけしからん、となぜか怒っていた。

452 新聞とってるかい!

大宮市民会館にRCサクセションのコンサートに行って、しびれたのはもう30年前のことだ。


清志郎が、愛し合ってるかい!と問いかけてくれた。




時代は今で、新聞とってるかい!と私が問いかけたい。


そしてとってる人がいたら、やめな!といいたい。


新聞を毎日宅配されなくても、だれも困らないことを、新聞社の人がわからないと時代は変わらない。


新聞はいらない。


生活に余裕のある人だけが送料を払って2-3日遅れの古聞をペーパーで購入すればいいのだ。それは週刊誌と競合する。週刊というメディアのシステムも変わるとおもう。


われわれは第4の権力として胡坐をかくマスコミから解放されて自由になることができるのである。

451 人事考課

上半期の人事考課の結果がでた。



私の職場は管理職場なので、考課制度にはどうしてもなじまない。


あたりまえのことを、あたりまえにやるだけだからだ。


以前、伝票処理を手作業からアプリケーションソフトでシステム化して、これは自分でもすごいとおもったときがあったが、考課制度はなかった。だけどそのときの気弱い部長が、部長賞だよといって地下の飲み屋でご馳走してくれた。かれは遠距離通勤で酒を飲まない人だったけれど、そういうことをしてくれた。それはわたしには結局迷惑だった。夜をお互い潰したからだ。評価してくれたことはわかった。


次回から効果をする側に回り、一連のファイルを引き継いだ。それをぺらぺらめくったが、あきれるばかりで声が出ない。おれもういやだよ。

450 師が走らないこの頃

12月に入った。


2006年という年は私にとっては平凡な年だったが、ちょっと気まぐれ模様で凸凹でもある。


私は生まれた年のほかに、1980年という人生を変える年と、2004年という人生を延ばす年を私の中で記録している。


1980年は結婚と就職と出産とが重なった。


2004年は私の気分では生死を分ける関が原だった。私は会社を捨てるために再び大学で学んだ。しかし途中で脳外科の手術を、それも難しいと先生に言われた手術を選択せざるを得なかった。会社は相変わらず甘く、復活のめどが立たない組織のままだが、私の命は延びた。延びた命を、その会社のためにささげるつもりはまったくない。是々非々で、務めるしかない。


2006年はおまけの人生のひとつでありながら、少し負担になるきっかけになりそうなので、それをぜひ修正して今後に備えたい。


びびらないで、全うするということだ。



再び学校への道も選択のひとつで、ある。