笑馬の馬券(ミスターシービーのように) -35ページ目

161 またもやボンレギューム

妻とふたりでときがわ町の玉川温泉へでかける。家から車で1時間くらい、越生梅林で有名な越生を越えてすぐだ。


この玉川温泉は100%天然温泉でかけ流しの日帰り温泉だ。入ってみればその泉質がわかるというものだ。3時間700円。


そのあと有機野菜レストラン「ボンレギューム」 で肉のランチ1,200円はチキンが素材だ。


帰り温泉を二缶買って、地元の有名な豆腐屋恩田豆腐店の鬼豆腐を買って帰る。


さらに越生で500本限定販売の辛口燗用の日本酒を1升購入。


競馬は1勝(25倍)2敗というような日だった。


160 立待岬のおもいではあるか

3年間の札幌勤務時代わたしは5月の連休など嫌がるこどもに無理やり学校を休ませて車で道内を観光したもので、驚いたのは夏タイヤでいった美幌峠の雪でした。タイヤは不安だったが、降りしきる雪の間から見る屈斜路湖の姿に感動したものでした。


さて立待岬はあまり記憶がないが、今日の函館9Rは立待崎特別。


⑨タイキミューズでいこう。⑦エアニックス②ブランシュネージュ①サクラプログレス。

テクノラティプロフィール

159 小倉の玄海特別の武豊

小倉の10R玄海特別。


ディープに思いをはせる武豊に勝機はあるか。


わたしは、⑤キングオブウイナーの祐一にかけたい。相手は⑪シゲルフェニックスと②ワンマンシャチョウ。そして⑩ピカレスクコートには武豊が乗る。

158 火打山特別をかんがえる

今日の新潟メインは11R1000万下のハンデ戦の火打山特別。11Rといってもメインでないときもあるので気をつけたい。


笑馬で行った7/2の福島競馬場の10R白河特別でサチノスイーティーの2着となり、なんとか2番人気の役割を果たしたジョイントスターズが田中勝春から蛯名に乗り代わってこのレースに出てくる。サチノは先週新潟の1000mの重賞を圧勝したね。


しかしわたしのこの馬の評価はハンデ頭の57.5ということもあり4番手。


狙いは同枠の⑪プレシャスワン⑧プライティアミラ⑱デュアルライフ、そして⑫ジョイントスターズ

157 河上肇の独り言

私は牢の中で  便器に腰かけて  麦飯を食ふ。

別にひとを羨むでもなく  また自分をかなしむでもなしに。

勿論こゝからは  一日も早く出たいが、

しかし私の生涯は  外にゐる旧友の誰のとも  取り替へたいとは思はない

       

(河上肇)



156 白洲次郎のこと

晩白洲次郎を明石家さんまが追うというテレビの録画を見た。


白洲は数年前から私のアイドルでもある。


娘婿という人が、明石家さんまさんや西武百貨店の元社長で小説家でもある堤清二さんのまえで、白洲のプリンシプルを「筋を通す」と解説していたが、私はすこし違うとおもう。


白州次郎のプリンシプルは、独歩ということだと私はおもっている。


一人歩くには、勇気も、学問も、教養もそして時には杖もめがねも必要だ。必要が無いのは、大げさな振る舞いだろう。


私はおおげさなことがあまり好きではない。たとえそれが地味であっても。

155 函館記念を予想する

函館の重賞、函館記念。深い芝に寝転ぶと青い草の匂いが鼻をつく。海が見えてぼくは日本で一番好きな競馬場だ。

勝つのは⑬ニシノデューとみる。相手に⑧シェイクマイハート③エリモハイアー⑤トウショウナイト。穴で⑥ストーミーカフェ、逃げろ!。

【産経新聞の主張】富田長官メモ 首相参拝は影響されない

平成18(2006)年7月21日[金]

「 昭和天皇がいわゆる“A級戦犯”の松岡洋右元外相らが靖国神社に合祀(ごうし)されたことに不快感を示したとされる富田朝彦元宮内庁長官のメモが見つかった。


 昭和天皇の思いが記された貴重な記録だ。

 

 昭和天皇が松岡元外相を評価していなかったことは、文芸春秋発行の『昭和天皇独白録』にも記されている。富田氏のメモは、それを改めて裏付ける資料だ。メモでは、昭和天皇は松岡氏と白鳥敏夫元駐伊大使の2人の名前を挙げ、それ以外のA級戦犯の名前は書かれていない。

 

 靖国神社には、巣鴨で刑死した東条英機元首相ら7人、未決拘禁中や受刑中に死亡した東郷茂徳元外相ら7人の計14人のA級戦犯がまつられている。メモだけでは、昭和天皇が14人全員のA級戦犯合祀に不快感を示していたとまでは読み取れない。

 

 政界の一部で、9月の自民党総裁選に向け、A級戦犯を分祀(ぶんし)しようという動きがあるが、富田氏のメモはその分祀論の根拠にはなり得ない。

 

 天皇の靖国参拝は、昭和50年11月を最後に途絶えている。その理由について、当時の三木武夫首相が公人でなく私人としての靖国参拝を強調したことから、天皇の靖国参拝も政治問題化したという見方と、その3年後の昭和53年10月にA級戦犯が合祀されたからだとする考え方の2説があった。

  

 富田氏のメモは後者の説を補強する一つの資料といえるが、それは学問的な評価にとどめるべきであり、A級戦犯分祀の是非論に利用すべきではない。まして、首相の靖国参拝をめぐる是非論と安易に結びつけるようなことがあってはなるまい。

 

 昭和28年8月の国会で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れたA級戦犯やアジア各地の裁判で裁かれたBC級戦犯を釈放した。また、刑死・獄死した戦犯の遺族に年金が支給されるようになった。

 

 戦犯は旧厚生省から靖国神社へ送られる祭神名票に加えられ、これに基づき「昭和殉難者」として同神社に合祀された。この事実は重い。

 

小泉純一郎首相は富田氏のメモに左右されず、国民を代表して堂々と靖国神社に参拝してほしい。」


産経新聞からの引用だが、最後の一行がちょっと気になるんだけど・・・。

明日からまた競馬に戻りますね。


154 世界の競走馬ランキング byIFHA

今日午前中、世界の競走馬ランキングの第1位にディープインパクトが選出されたというニュースが入ってきた。機関は国際競馬統括機関連盟(IFHA) というらしい。


1位はほかにシロッコとかいるようだが、どういう基準で選択するのか興味深いというか、ないというかである。種牡馬ならまだしも同じ環境で走ることの困難な競馬の世界では絵に書いた餅というところかな。



昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ(日経)

昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ
2006/07/20 03:00

 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての歴史的価値も高い。(詳細を20日付の日本経済新聞朝刊に)
 靖国神社に参拝しない理由を昭和天皇が明確に語り、その発言を書き留めた文書が見つかったのは初めて。「昭和天皇が参拝しなくなったのはA級戦犯合祀が原因ではないか」との見方が裏付けられた。
 富田氏は昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。日記は同庁次長時代も含む75―86年まで各1冊、手帳は86―97年の二十数冊が残されていた。
 靖国神社についての発言メモは88年4月28日付で、手帳に張り付けてあった。昭和天皇はまず「私は、或る時に、A級(戦犯)が合祀され、その上、松岡、白取(原文のまま)までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と語ったと記されている。
 「松岡」「白取」はA級戦犯の中で合祀されている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、「筑波」は66年に厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら、合祀しなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(故人)を指すとみられる。
 さらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々(やすやす)と。松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」と述べている。
 この部分の「松平」は終戦直後に最後の宮内大臣を務めた松平慶民氏(故人)と、その長男で78年にA級戦犯合祀に踏み切った当時の松平永芳・靖国神社宮司(同)を指すとみられる。
 同日付のメモの前半部分には、天皇誕生日(4月29日)に先立って行われた記者会見で、戦争に対する考えを質問されたことへの感想も記されていた。
 会見で昭和天皇は「何といっても大戦のことが一番いやな思い出」と答えているが、メモでは一部の政治家の靖国神社を巡る発言にも言及しつつ「戦争の感想を問われ、嫌な気持ちを表現したかった」と話していた。
 昭和天皇は靖国神社を戦後8回参拝したが、75年11月の参拝が最後となった。現在の天皇陛下も89年の即位以降、一度も参拝されていない。