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母が肺がんになった!闘病記と看取り記録

60代の母は肺腺癌(はいせんがん)。仕事、育児をしながら看護をしているワーキングマザーの記録です。

10月にタルセバをやめてから小康状態が続いていたのか、

癌の話はそこまでしなくなっていたので

大丈夫かと思っていた矢先。

 

出張に行く前にいつもの習慣で母に電話をする。

 

すると様子がおかしい。

 

父が電話に出て

「お母さんが頭が痛いと言っている。

 様子もおかしい」

とのこと。

 

母に電話を代わってもらっても

「メガネがないの。なので何も見えないの」

と言ってた。

 

この頃から癌から出た水で脳が圧迫されていたのだろうか?

少なくとも激しい頭痛はそのためだと思われる。

 

もちろんそんな知識もなく、

”どうしたんだろう?”程度の心配でそのまま出張に行った。

 

帰国後、実家を訪れると母はすでに寝たきりになっていた。

ろれつが回らない口調で、つじつまを合わないことを言っている。

 

かと思えば、体調が良い日は歩いたり少し食べたりもしているよう。

 

どうやら父の見ていない所で頭を打ったとのことで、

その影響ではないかと脳の病院でMRIを取ってもらったりもした。

が、認知症の状態でもないし脳に特に問題はないとのこと。

※主治医の先生は認知症ですよと言っていた

 

この頃は「頭を打った」という情報だけを頼りに、

病院を探したり、健康相談に電話をかけたり。

 

医療の知識なんて全くない父と私で取り残されたような、

誰を頼ったらいいのかわからない状態だった。

 

主治医(肺)がいる病院の定期検診は2週間ほど先。

でも脳の事だから脳専門の病院だろう。

 

そう思っていたことも判断を狂わせ、

主治医がいる病院になかなか連れて行ってあげられなかった。

 

そのタイムロスで母の命に影響があったのかはわからない、

と先生は言う。

でも少なくとも検査は出来たそう。

 

もっと早く、主治医がいる病院を頼ればよかったと思っている。

 

在宅で見ていたが、

もう起き上がれないので救急車で運んで入院の流れになった。

(この頃には動くと首に激痛が走っていた模様)

 

入院のきっかけになったのが、寝ていた母が失禁していたこと。

そんな粗相をするような母でもそんな自分を許せるような母でもないが、

一人、汚れたベッドで寝ていたそうだ。

 

そんな状態を見た父が主治医に連絡し入院となったそう。

 

ここで「~だったそうだ」、「~だった模様」と書いているのは、

実際に私が見聞きをしたわけではないから。

 

母が悪化する直前・直後、

私は多忙を極めていた。。

今となっては優先順位は母にあったはずなのに。

母もすぐよくなるだろうと高をくくっていた。

10月に遺伝子治療薬・タルセバの投薬をやめたと聞いた。

 

タルセバとは・・・

タルセバ(一般名:エルロチニブ塩酸塩)は、一日一回服用する非小細胞肺がんを治療するためのお薬で、従来の細胞障害性抗がん剤とは異なる作用でがん細胞の増殖を抑えます。
その効果は国内外の臨床試験で有効性が確認されています。
一方、副作用としては、発疹、かゆみなどの皮膚の症状、下痢(げり)が多く現れます

(出典:中外製薬HP)

 

タルセバの副作用にも書かれている発疹やかゆみ

母にはこの副作用がかなり出ているようだった。

 

発疹なんて、と思うかもしれないが考えてほしい。

 

  • 顔中膨れ上がって真っ赤。
  • 口の中は口内炎で食べれない
  • 爪もボロボロ、水にも触れられない

 

そんな状態で外出が大好きだった母は

ずっと家に閉じこもって

気分も落ちまくっているいるようだった。

 

ウツみたいな状態になってしまうのではないかと

父は心配していたらしい。

 

こんなに生活の質が落ちてしまうのなら、と

内科・外科の先生、父と相談して

服薬をやめたようだ。

 

なので、薬をやめた、と聞いて正直うれしかった。

 

また活発なお母さんが戻ってきてくれるなら、と。

薬をやめるデメリットなんて考えていなかった。

 

ガンはよくなっているのだけ抑えているだけ。

 

そんな基本も知らずに喜んでいた。

 

まだ顔は赤いがずいぶんよくなってきた、

とのことで10月には家族で旅行にも。

 

「○○に行きたい」

と行きたかったレストランに行ったり。

 

来年の夏休みは一緒に海外留学についてきてよ、

そんな話をしていた。

 

今思うと、病気の知識が無知だったからこそ言えたこと。

本当に恥ずかしく思う。

 

母も私たちも癌から目を背けて、

大丈夫そうなことだけを見ていた。

 

「今回の検査でも癌のマーカーが出なかったの」

そんな母の言葉だけを頼りに、

自分では何も動こうとしていなかった自分が悔しい。

 

 

 

 

▼母の肺腺癌のこれまでの経緯

 

・2016年?月 肺に癌が見つかる(ステージⅡ)

 

・2016年8月  外科手術

          手術後肺を洗った水から癌細胞が見つかる(母の説明)

          →実際は肺にあった水(健康な人でも少量あるよう)から

           癌細胞があったらしい(主治医の説明)

           なので実際はステージⅣだったのこと

 

~術後は保護療法として抗がん剤を4回行う(入院4回?)~

 

・2017年?月 脳への転移が見つかる

 →抗がん剤は体に効いたが、逆に脳に行ってしまった(母の説明)


・2016年12月 ガンマナイフ

・2017年7月  ガンマナイフ

・2017年12月 右肺に再発(ステージⅣ B)

・2018年1月  遺伝子治療薬のタルセバを使い始める

・2018年5月  タルセバの副作用がひどくて量を減らす

・2018年10月  QOLが下がりすぎてつらい

          タルセバを中断

・2018年11月中旬  頭痛を訴える、つじつまの合わないことを言う

             歩けなくなりベッドで失禁

・2018年12月     入院  

 

▼母のスペック

・喫煙経験あり、最近10年くらい?は禁煙していた

・真面目な性格

・母の父(私から見ると祖母)は胃がん

母のことについて書く。

 

母は60代後半。

 

数年前に【ガン】が見つかった。

肺腺がん、といういわゆる肺にできるガンの一種である。

 

【肺腺癌(はいせんがん)とは?】

肺腺がんは4つのタイプに分けられる肺がんの中で最も発生頻度の高いがんで、肺がん全体のおよそ半数が腺がんであるといわれています。
女性やタバコを吸わない人にも多く、肺の奥のほうのこまかく枝分かれした先にできるため、初期には症状がないことが肺腺がんの特徴です。

がんが進行すると、胸痛、咳、痰などの一般的な呼吸器疾患でもみられる症状があらわれますが、肺腺がんに特有の症状はありません。

また、肺とは関係がないと思われる頭痛やふらつきといった症状がみられることがあります。これは脳への転移による症状ですが、この他にも転移した臓器にさまざまな症状がみられることがあります。
肺腺がんが転移しやすい臓器は脳、骨、肝臓、肺、副腎、リンパ節です

肺転移の場合、肺の中の原発巣とは異なる場所に新たながんが生じます。

(出典:https://www.haigan-tomoni.jp/know/about_lung_cancer/type/about.html

 

私が理解出来ている範囲でざっくり言うと、

肺にできたガンがリンパに乗って脳に転移。

 

脳の表面にできたガンからお水が出ていて、髄液が増加。

 

結果としてその髄液に脳が圧迫されたガン性髄膜炎になっているらしい。

そして水頭症という状態だそう。

 

【水頭症とは?】

水頭症とは、脳脊髄液(髄液)の循環障害によって拡大した脳室が、頭蓋骨内面に大脳半球を押しつけることにより、数々の脳の障害を引き起こす一連の病態を言います。

(出典:https://www.bbraun.jp/ja/patient/hydrocephalus/characteristic-and-symptom.html)

 

脳の隙間もずいぶん大きくなってきていて痴呆も進んでいるのではないか、とのこと。

 

今の母は意識がもうろうとした状態。

 

会話はほとんど成り立たない。

こちらの言っていることは少し理解できるのか、

「はい」ということはある。

(あまり「NO」の意思表示はしてくれない)

 

少ししゃべったとしても何かわからないことを言っている。

 

もちろん立つこともならず、

12月初旬に入院してからずっとベッドに横になっている。

 

 

活発でアクティブで辛口だった母。

そんなエネルギッシュだった母が

ただの物体になっていくのが痛ましくて辛い。

 

よく文句を言われていたが、それももう言ってもらえない。

 

母は今、緩和ケア病棟に入院中。

 

いわゆる【ホスピス】というもの。

 

もう有効な治療の手段がないから、

最後の時をゆっくりお過ごしください。

 

そんな場所である。

 

母がその病棟に入る前は

ホスピスに対するイメージは

 

 ・暗そう

 ・悲壮感漂ってそう

 

というネガティブなものだった。

 

でも、実際入ってみると

「もっと早く移して(※)あげればよかった」

と思ったほど。

 

※その前は同じ病院内の普通病棟にいた

 

このブログは死せる母に対する気持ちや

自分の心の移り変わり、

日々の記録として書いていこうと思う。