皆がまだ、

お嫁さんやお花屋さん、

ケーキ屋さんになるのが夢だと

言っている年頃に、

私は食品サンプルを作る人になるのが

夢だった。


仕事でお金が入ると決まって

家族でチェーン店の居酒屋さんに行って

いた。

お店の外に飾ってある食品サンプルを

行くたびに目を輝かせて見ては、

これ作る人になりたいと

言っていた。何度も行くたびに。

ところが、ある日、

父は私に言った。

これは作る時に熱いからお前には

無理だと。お前には作れない。


今考えれば、大人になってからの

話なのに、保育園児相手に

無理だという父…




小学生になって、

社会科見学で、手話を目の前でしてくれた

お姉さんを見て

何が感じるものがあって、

そこから、独学で本買ったり

テレビを見て手話を勉強して

覚えていった。

小学校を卒業と同時に、

地元の手話サークルに母と入って

本格的に手話を学んでいった。

そしたら、ある日、

父が私に言った。

そんなもん(手話通訳士)なんて

金になるかっ!

と。



何故、私がこんなに父の言うことに

忠実なのか、親の言うことに

忠実なのか。

それは、脅されて恐怖によって

育てられたからだ。

言うことを聞かなければもれなく

怒られていたからだ。

それも、大人でもビビるぐらいの。

母に至っては、よく手を出されていた。

顔や頭を叩かれては、泣くと余計に

怒られた。

虐められて帰ってきても、

母には泣いて帰ってくるな!

と怒られた。



親の言うことは絶対だからだ。


そんな私も、進路を決めなければ

行けない時期になった時、

何故か進学することは許された。

でも、それも中途半端。

ガッツリ学ぶ道ではなく、

ほんの2年間の専門学校。

なんの足しにもならなかった。

そして、地元で全く関係のない

仕事に就いた。

それも、また、母が言っていた

言葉が頭の中を支配して

母が望む会社に入った。

無論、自分がしたくて入った会社

ではなかったので、

なんの志もなく、、、

そして、私の心は崩壊した。

それでも母には、

一体いつまで遊んでるつもりだ。

と責められた。

実際遊んでる訳では無い。

そして、現実と親に

落ちる所まで落とされた。

地獄だった。

地獄の中の地獄。

もう二度と這い上がってこれないと

思った。

自分で人生終わらせようと思った。


それでも、何故か私の中にある

向上心が私をまた這い上がらせた。



結局、人の顔色ばかりを見ては

潰れて、まともに社会生活を

送れなかった。


ある日、父に仕事に誘われた。

一緒についてくるか?と。

もちろん選択肢は無かったし、

お金を稼がなくちゃいけない

思いだけで、両親と仕事をし始めた。


かれこれ、もう10年。

ようやくやりたいと思った

趣味を、少しずつ仕事にしようか…

と思い始めた頃。


若い頃の娘の夢は、

ことごとく否定し続け、

人格も否定され続けたのに、

30代の娘の趣味を応援し始めた。


お願い。

お願いだから、もうそーっと

しておいておくれよ。

父よ母よ、そして姉よ。

私の人生の邪魔をしないで

おくれよ。

もう。


私の人生終わってんだよ。

これ以上、私の人生から

何かを奪わんでおくれよ。


これ以上関わられたら私、

もう本当に人生終わらせなきゃ

ならなくなる。

頼むよ。

父と母と姉よ。


でも、この声は届かないだろうね。

きっとキレるから。ね。

本当の事話したら。