最近はお笑い芸人のような扱いを受けている現在73歳のデヴィ夫人ですが、
この境地に至るまでには様々な苦悩の日々や経験を積んでいるようです。
デヴィ・スカルノ (デビィ夫人)の半生とは・・・
生誕 1940年2月6日生まれ
日本・東京府東京市麻布区霞町
インドネシア名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)
別名 根本 七保子(旧名・日本名:ねもと なおこ)
職業 マルチタレント、スカルノ元大統領第3夫人。インドネシア国籍
NPO法人アースエイドソサエティ総裁。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。
父は大工で、家庭は裕福ではありませんでした。
15歳のとき、『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』エキストラ出演しています。
そして、高校中退し、赤坂の高級クラブで働きます。
19歳のときに、愛人として、スカルノ大統領のもとに送り込まれます。
このとき、暴力団関係者の児玉誉士夫が関わっていたようです。
その後、正式に第三夫人として迎え入れられます。
25歳のときに起きた軍事クーデターでスカルノが失脚。
代わってスハルトが大統領となり命からがら逃げ帰りました。
スカルノ死去後、第3夫人のデビィ夫人にも遺産分与が行われました。
40歳のときに、インドネシアへ戻り、石油関連事業を興しましたが、
失敗に終わりました。
51歳にアメリカのニューヨークへと移住します。
翌年に実刑判決を受けて、刑務所に入っています。
66歳で「クイズ$ミリオネア」に出場し、1,000万円を獲得しました。
現在は、余生を謳歌する日々を送っています。
最近は若いころの美貌も話題となっています。
これだけの経歴を持ちながら、それを感じさせない活躍に
すてきな方だなって改めて思います。