中学生男女が読むような物語を相手に本気でのめり込んで、本気で徹夜までして毎日読みふけり、本気で面白い小説を読んだと感動した末に、ブログの文体にまであっさり影響を受けてしまっている30代男性社会人の姿が、そこにはあった。
ていうか僕だった。
Forlyは金曜日が基本設計×2機能と機能設計×2機能の締め切りだったというのに、連日23時ぐらいまで働いては明け方まで西尾維新の作品を読むようなキャラだったのか・・・・・・自分で自分にドン引きだった。
・・・と言うわけで、月曜日から読み始めた西尾維新の物語シリーズですが、とりあえず既刊分5冊、読み終わりました。
いやあ、面白かったですねぇ。
軽妙な会話劇、キャラクターの魅力、そして読後の、爽快感というか満足感。
そして何より、圧倒的なテンポの良さ。
どちらかというと、ページ全体に文字がずっしり詰まったスタイルなのに、そしてそのほとんどを登場人物が会話をしているだけの構成なのに、ものすごいスピード感で、物語を読み進めていけてしまいます。
各キャラクターは、それぞれの物語が進む毎に、阿良々木君を中心に、ものすごく、いろんな方向に暴走していくのですが、それがなんというか、計算された暴走感、コントロールされた暴走感で、もしこの作品が、作者のいうとおり「筆の進むまま好きに、趣味で書いた」ならば───確かに、本当にそうなのでしょうが───やはり西尾維新という作家は、才能に恵まれているといえるでしょう。
その作者の計算高さ、あるいは天賦の文才の上で転がされている、その心地よさといったら───
西尾維新の作品に対する評価として、「10代、20代前半の読者が圧倒的に多い」というのがあるでしょう。
私も、作品の評価やストーリーの概説を聞くだけで、「ああ、中二臭いな」と思って今まで手を付けていませんでした。
一つのシリーズを読み終わった感想としては・・・やはり、中学生ぐらいがハマるだろう、と、言葉の上では変わりません。
しかし、それはガキっぽいとか幼稚とか、そういうネガティブな感想ではなく。
我々「オッサン」のように斜に構えることもなく、世の中ある程度分かったような疲れた気でいることもなく、こんな風に小説の感想にだらだら理屈を付ける理由を付ける必要性すら感じず───只純粋に、何かに熱中できる、理屈ではなく夢中になれる、そんな純粋性を有している、そんな特権を持っている思春期の若者にとっては、さぞかし没入できる作品であろう、と言うことです。
小学校五年生の女の子相手に、出会うなり「もっと触らせろもっと抱きつかせろもっと舐めさせろ!」とか叫びながらいきなりほっぺたにチューして抱きつくような男子高校生が主人公という、ちょっと昨今の社会情勢的にシャレにならないようなお話でも(そんなお話です)、どこか漂う、理知的な空気。
演出されている空気が、今風に、オシャレなのです。
だからといってクールでもなく、格好つけているわけでもなく、でも読者に媚びているわけでもなく(メタの演出として読者に媚びている感を出しているとこをはそれこそ大量にあるが)、ただ、面白い。
活字を使って紙媒体で表現するのに、現代ではなるほど、こういう演出が取られるわけだ、と思う。
思春期の若者にとっては、なんてエクスキューズを付けたけれど、何のことはない、私もまんまとハマり、新書サイズの本を日々の仕事をこなしながら一日一冊のペースで読み、一冊読み終わっても次の話が気になり夜中の1時半ぐらいにTSUTAYAに次巻を買いに行ったりし、夢中で読み漁りました。
おかげで今日もまんまと朝です。
眠い。

実は(実はも何も数日前の記事で書いているが)私は、化物語はアニメから入りました。
そして原作を読み終えた感想は・・・「これはアニメ化は難しいなぁ」と。
作中「アニメ化されたら」「アニメ化されたとき」みたいなメタな台詞がぽんぽん出てきますが、それとは関係なく。
ここからは、アニメ化についての考察、ていうかアニメの感想。
この作品は受け手が物語の進むテンポをコントロールできるという、そして表記された文字から印象を受ける、という活字書籍のなせる演出をふんだんに使っています。
受け手に時間の経過、テンポのすすみ、動きといった時間軸上の主体が委ねられず、物語の風景そのものを受け手の想像の余地を奪う「絵」で見せなければならないアニメーションは、実は化物語の「面白さ」とは相容れないんじゃないか?
いや、そんな理屈っぽい事言わずとも、この話、主人公のモノローグがめちゃくちゃ多いし。
そんな懸念は、実は今のところは外れています。
新房監督×シャフトは、いまのところ(現在「まよいマイマイ」の途中)、この化物語という作品の、「バカな台詞の掛け合いばかりしているのに理知的でオシャレ。でもそれは理屈っぽくなくて純粋に面白い」という特徴を上手く映像化できていると思います。
いや、正直に言えば、多少理屈っぽいところはあるのですが、活字上の演出という手が取れない以上、理知的な雰囲気を出そうとすれば多少理屈っぽくなるのもしょうがないところです。まあ、新房だし。
もう一つ言うと、そういった雰囲気を壊さないまま「萌えアニメ」としてちゃんと成立させているところが素晴らしいですね。
ひたぎもまよいも、文句なしにかわいい!
原作は作者も言っているとおり、いろんな角度からの萌えキャラが片っ端から主人公に惚れていくという「阿良々木ハーレム」状態が作品の根幹(笑)なので、ここは重要です。
昔の記事でも書いたことですが、例を挙げれば「けいおん!」のようなストレートど真ん中の萌えアニメは、さすがにオジサン的には少々しんどくなってきたお年頃なわけで、「澪は俺の嫁!」なんて言っている自分を覚めた目で見下す自分も同時に発生してしまうわけです。
でも、この作品ではわりと素直に「戦場ヶ原ひたぎ、蕩れ」とか「八九寺真宵、蕩れ」とか言えてしまいます。
不思議ですね。
さて、委員長はともかく、これから映像化される「するがモンキー」や「なでこスネーク」はどのように描かれるのでしょうか。
非常に楽しみです。
絶対映像化出来ねぇ、アレ。
放送コード的な意味で。
さて、アニメの方についてはまた記事にする機会もあると思うのでこれぐらいで。
原作の方は、今年はもう新刊は出ませんが、来年、2冊ほど出て完結のようです。
委員長の物語が描かれないまま終わるのは残念だったので、「つばさファミリー」には期待しています。
タイトルだけでは分かりませんが、これゴールデンウィークの話だよね?たぶん。
それにしても、傷物語では、もう続編が書かれるとは思えないほどキャラをぶっ壊してますので(主に阿良々木君)、まさか続きが出るとは思いませんでした。
今はこの面白い作品をついに読み終わってしまった、というどうしようもない喪失感でいっぱいですが、新刊が出る来年まで、その時間の長さにもんどり打って苦しみながら、待ちましょう。
最後に、お前にとってのお気に入りは?と問われたら。
ガハラさんとはお似合いのカップル、最終的には委員長と結婚して、神原駿河が愛人で、撫子が三号、その上本命は八九寺なのだ───僕はキメ顔でそう言った。
ていうか僕だった。
Forlyは金曜日が基本設計×2機能と機能設計×2機能の締め切りだったというのに、連日23時ぐらいまで働いては明け方まで西尾維新の作品を読むようなキャラだったのか・・・・・・自分で自分にドン引きだった。
・・・と言うわけで、月曜日から読み始めた西尾維新の物語シリーズですが、とりあえず既刊分5冊、読み終わりました。
いやあ、面白かったですねぇ。
軽妙な会話劇、キャラクターの魅力、そして読後の、爽快感というか満足感。
そして何より、圧倒的なテンポの良さ。
どちらかというと、ページ全体に文字がずっしり詰まったスタイルなのに、そしてそのほとんどを登場人物が会話をしているだけの構成なのに、ものすごいスピード感で、物語を読み進めていけてしまいます。
各キャラクターは、それぞれの物語が進む毎に、阿良々木君を中心に、ものすごく、いろんな方向に暴走していくのですが、それがなんというか、計算された暴走感、コントロールされた暴走感で、もしこの作品が、作者のいうとおり「筆の進むまま好きに、趣味で書いた」ならば───確かに、本当にそうなのでしょうが───やはり西尾維新という作家は、才能に恵まれているといえるでしょう。
その作者の計算高さ、あるいは天賦の文才の上で転がされている、その心地よさといったら───
西尾維新の作品に対する評価として、「10代、20代前半の読者が圧倒的に多い」というのがあるでしょう。
私も、作品の評価やストーリーの概説を聞くだけで、「ああ、中二臭いな」と思って今まで手を付けていませんでした。
一つのシリーズを読み終わった感想としては・・・やはり、中学生ぐらいがハマるだろう、と、言葉の上では変わりません。
しかし、それはガキっぽいとか幼稚とか、そういうネガティブな感想ではなく。
我々「オッサン」のように斜に構えることもなく、世の中ある程度分かったような疲れた気でいることもなく、こんな風に小説の感想にだらだら理屈を付ける理由を付ける必要性すら感じず───只純粋に、何かに熱中できる、理屈ではなく夢中になれる、そんな純粋性を有している、そんな特権を持っている思春期の若者にとっては、さぞかし没入できる作品であろう、と言うことです。
小学校五年生の女の子相手に、出会うなり「もっと触らせろもっと抱きつかせろもっと舐めさせろ!」とか叫びながらいきなりほっぺたにチューして抱きつくような男子高校生が主人公という、ちょっと昨今の社会情勢的にシャレにならないようなお話でも(そんなお話です)、どこか漂う、理知的な空気。
演出されている空気が、今風に、オシャレなのです。
だからといってクールでもなく、格好つけているわけでもなく、でも読者に媚びているわけでもなく(メタの演出として読者に媚びている感を出しているとこをはそれこそ大量にあるが)、ただ、面白い。
活字を使って紙媒体で表現するのに、現代ではなるほど、こういう演出が取られるわけだ、と思う。
思春期の若者にとっては、なんてエクスキューズを付けたけれど、何のことはない、私もまんまとハマり、新書サイズの本を日々の仕事をこなしながら一日一冊のペースで読み、一冊読み終わっても次の話が気になり夜中の1時半ぐらいにTSUTAYAに次巻を買いに行ったりし、夢中で読み漁りました。
おかげで今日もまんまと朝です。
眠い。

実は(実はも何も数日前の記事で書いているが)私は、化物語はアニメから入りました。
そして原作を読み終えた感想は・・・「これはアニメ化は難しいなぁ」と。
作中「アニメ化されたら」「アニメ化されたとき」みたいなメタな台詞がぽんぽん出てきますが、それとは関係なく。
ここからは、アニメ化についての考察、ていうかアニメの感想。
この作品は受け手が物語の進むテンポをコントロールできるという、そして表記された文字から印象を受ける、という活字書籍のなせる演出をふんだんに使っています。
受け手に時間の経過、テンポのすすみ、動きといった時間軸上の主体が委ねられず、物語の風景そのものを受け手の想像の余地を奪う「絵」で見せなければならないアニメーションは、実は化物語の「面白さ」とは相容れないんじゃないか?
いや、そんな理屈っぽい事言わずとも、この話、主人公のモノローグがめちゃくちゃ多いし。
そんな懸念は、実は今のところは外れています。
新房監督×シャフトは、いまのところ(現在「まよいマイマイ」の途中)、この化物語という作品の、「バカな台詞の掛け合いばかりしているのに理知的でオシャレ。でもそれは理屈っぽくなくて純粋に面白い」という特徴を上手く映像化できていると思います。
いや、正直に言えば、多少理屈っぽいところはあるのですが、活字上の演出という手が取れない以上、理知的な雰囲気を出そうとすれば多少理屈っぽくなるのもしょうがないところです。まあ、新房だし。
もう一つ言うと、そういった雰囲気を壊さないまま「萌えアニメ」としてちゃんと成立させているところが素晴らしいですね。
ひたぎもまよいも、文句なしにかわいい!
原作は作者も言っているとおり、いろんな角度からの萌えキャラが片っ端から主人公に惚れていくという「阿良々木ハーレム」状態が作品の根幹(笑)なので、ここは重要です。
昔の記事でも書いたことですが、例を挙げれば「けいおん!」のようなストレートど真ん中の萌えアニメは、さすがにオジサン的には少々しんどくなってきたお年頃なわけで、「澪は俺の嫁!」なんて言っている自分を覚めた目で見下す自分も同時に発生してしまうわけです。
でも、この作品ではわりと素直に「戦場ヶ原ひたぎ、蕩れ」とか「八九寺真宵、蕩れ」とか言えてしまいます。
不思議ですね。
さて、委員長はともかく、これから映像化される「するがモンキー」や「なでこスネーク」はどのように描かれるのでしょうか。
非常に楽しみです。
絶対映像化出来ねぇ、アレ。
放送コード的な意味で。
さて、アニメの方についてはまた記事にする機会もあると思うのでこれぐらいで。
原作の方は、今年はもう新刊は出ませんが、来年、2冊ほど出て完結のようです。
委員長の物語が描かれないまま終わるのは残念だったので、「つばさファミリー」には期待しています。
タイトルだけでは分かりませんが、これゴールデンウィークの話だよね?たぶん。
それにしても、傷物語では、もう続編が書かれるとは思えないほどキャラをぶっ壊してますので(主に阿良々木君)、まさか続きが出るとは思いませんでした。
今はこの面白い作品をついに読み終わってしまった、というどうしようもない喪失感でいっぱいですが、新刊が出る来年まで、その時間の長さにもんどり打って苦しみながら、待ちましょう。
最後に、お前にとってのお気に入りは?と問われたら。
ガハラさんとはお似合いのカップル、最終的には委員長と結婚して、神原駿河が愛人で、撫子が三号、その上本命は八九寺なのだ───僕はキメ顔でそう言った。