偉大な人生とはどんなものなのか。

エデンの東に登場するサミュエル・ハミルトンは、読後にその強い存在感とともに、そんな疑問を投げかけてくる。

サミュエル自身は、自分を偉大な存在にはなれない、偉大な存在へと跳躍する前にそれを躊躇してしまった人間であると認識し、それを受け入れている。一方で彼の存在は物語に登場する多くの人に強い影響と勇気を与えている。彼の子供たちはもちろんのこと、アダムやリーにとっても彼の存在はかけがえのないものだ。そして、彼の送ってきた人生は、私に勇気を与えてくれる。

彼はアイルランドの出身で、彼の妻は熱心なキリスト者である。彼自身は神の自明について懐疑的であり、聖書の熱心な読者であるものの、その本に対して払う敬意においては、彼の妻を満足させることができていない。

彼は冗談を好み、その一方で金銭的には恵まれない境遇と、アダムをして不毛と言わしめる厳しい環境の彼の農場を切り盛りしながら、持ち前の工夫と知恵と忍耐力で人生を乗り切っている。むやみに感情的にならず、争いを避け、人のためにしか怒らない。奥さんに意見を言われるとおおよそ受け入れてしまう。彼に意見がないわけではなく、奥さんを尊敬しているから。彼の言葉には人を引き付ける独特の雰囲気と英知がある。

そんな彼の存在は、実に私がこのように生きたいと思うような、尊敬の対象である。周りと比べず、自分とその家族がよりよく生きるために常に立ち向かった。それでいて悟っているわけではない。迷い、たまに弱音も吐く。

自身の存在についてアダムに語った言葉が、印象的だった。


アダムの2人の子供に名前を付けるため集まった席で

アダム「あなたはたいへんあ知識人です。そういうあなたがどうしてあんな砂漠みたいな丘陵地を耕しているのか、僕はいつも不思議に思っていました。」

サミュエル「それもわしに勇気がないからだ。責任をとりきれない。神がわしの名前を呼ばないなら、わしのほうから神の名を呼んでもよかったのだろうが、わしはそれをしなかった。それが偉大さと凡庸さの違いだな。凡庸さは世に広くはびこる病だ。だが、そういう凡庸な人間にとっては、偉大さこそ世界で最も孤独な状態だと知ることが慰めになる」(p358.l14~19.早川書房.2005)


偉大な人物は確かに世の中にいる。しかし、偉大さを図る尺度は千差万別であり、市井の人の困難に立ち向かった人生がなんと素晴らしいことか!勇気を与えてくれるものであるか、彼の生き方を見てそう感じた。



『エデンの東』

ジョン・スタインベック

土屋政雄

早川書房

2005年