塩対応 | Vicissitudes de richesse ~七転八起~

Vicissitudes de richesse ~七転八起~

人生、転んでも立ち上あがれば勝つんですよねぇ
だから、転んでも立ち上がるんです
立ち上がって、立ち上がり続けるんです

高校を卒業する時に、担任の先生に頂いた絵を今でも、額縁に入れて飾っているのですが

 

 

 
30うん年ぶりに、先生の今の高校を教育委員会に教えてもらって連絡をしてみました
 
絵を大事に飾ってる事を教えたら、少しは喜んでくれるかな~と
 
淡い期待はしてたのですが、まさかの塩対応
 
「お久しぶりです。ほしこです」と、挨拶をすると
 
「あぁ」
 
「覚えていらっしゃいますか?××高校でお世話になった」
 
「覚えてるけど」
 
…会話がなんだか冷たい それでも絵を飾ってる事だけは伝えたくて
 
「卒業の時に頂いた先生が描いた絵を、今でも額縁に入れて飾ってるんですよ」
 
「…ふ~ん」
 
内心
 
(ダメだ。この塩対応に耐え切れない)
 
と、思いました
 
「これからも連絡していいですか?」
 
「自宅はやめて。親の介護してるから。連絡くれるなら学校にして」
 
まさか、たわいもない、会話の為に職場に電話出来るわけないじゃないですか
 
これは遠回しに、連絡をくれないでくれって事だろうか、と考えてしまいました
 
もう1人の高校時代の先生とは、明るく会話してるのに、この冷たい塩対応
 
連絡するのは、やめた方がいいんだろうなと判断しました
 
 
 
高校時代、私が手に負えない生徒だったからでしょうか
 
元々、学校では学校全体からいじめにあってたので、孤立してましたし
 
授業がつまらなかったら、勝手に帰ってましたし
 
最初は、教室の扉から出て行ってたのですが、先生たちが数名がかりで、取り囲んできたので
 
2階の窓から飛び降りて帰ってましたし…
 
今、思うと「規格外」の生徒だったと思います
 
よく卒業できたもんだと、呆れます
 
きっと、担当してくれた先生が頑張って、単位を取る様にしてくれたからだと、思います
 
美術の成績だけは3年間、首位を維持してました
 
あとはボロボロでしたが
 
物理の単位の取り方は、物理室にある物理の実験に使う道具の名前を全部覚える事でした
 
勉強面では期待されてなかったんでしょうね
 
…まぁ、色々問題がある生徒でした
 
だから塩対応だったのかもしれません
 
学生時代は何かと問題のある子どもでした