「小料理屋 桜」を最初から読まれる方はこちらから
梓が自分の店に帰ってから桜子は考え込んでしまった。
時計を見ると深夜の1時を回っている。
1時間以上話をしていたんだと思うと問題は少し深刻な気がしてきた。
この店を開いたのは叔母の美由紀だから、美由紀に相談してみようと決めた。
名義上は桜子の店ではあるが、今の常連客を作ったのは美由紀なのだから。
翌朝、今ではすっかり引退してコーラス部などにいそしんでいる美由紀に連絡をした。
「おはようございます。美由紀叔母様?」
「珍しいわね。桜から連絡があるなんて。何かあったの?」
よっぽど困った事や、分からない事がない限り桜子は美由紀に連絡をしていなかった。
それは店を引き継ぐ際に、
「これからは店名を『桜』に変える以上、桜の店なのだから桜が責任を持って店を経営していく事」
と、言われたからだった。だからこそ、夜に酒を提供する店で不慣れな事は最初
美由紀に紹介された梓に相談していた。
5年経った今はその回数も減ってはいたが。
「叔母様に相談したい事があるんですけど、いいですか?」
その質問に対してしばらく電話の向こうの美由紀は黙っていたが、
次の桜子の言葉にようやく返事をくれた。
「実は昨日の晩に梓さんからの相談で梓さんのお店の女の子をうちで雇って欲しいって
言われたんです。確かに大人しい子ですし、うちの店には合ってる子だとは思いますけど
私、一人でも十分な広さの店ですし、お給料を出す程売上があるって訳でもないです。
そこで梓さんが梓さんのお店からお給料を出して下さるって…。
それじゃぁ梓さんのお店の2号店にならないでしょうか。」
一気に話したので受話器を持ちながらキッチンに行って、ペットボトルの水をグラスに
注ぎ、一口だけ飲んだ。
「そうね…。ちょっと電話で話せることじゃないからうちにいらっしゃい。
桜が来るのも久しぶりだし、兄さんにも顔を出すのもいいんじゃない?」
美由紀にとっての兄とは桜子の父にあたる。
今日、美由紀宅に行った所で父親に会えるとは思えなかったが美由紀に会う必要性は感じた。
「じゃぁ今から出ます。1時間位で着くと思うので。」
「気を付けて来るのよ。」
「はい。」
桜子は電話を切ると、タンスから淡い水色の斜めぼかしに蔓草が染め絵がかれた着物を出して
着物に着替えた。着付けの師匠でもある美由紀の自宅に行くのだから念入りに帯を締め直した。
美由紀の自宅は隣駅。自宅に行く前に近所の和菓子屋で美由紀の好きないちご大福を買って
電車に乗り込む。
隣り駅なので5分もせずに着く事が出来た。
和風建築の美由紀の家には相応しくない最新のインターフォンのボタンを押して
来た事を告げた。
引き戸が開かれ、引退したとは思えない程若々しい美由紀が姿を現した。
「いらっしゃい、待ってたのよ。」
美由紀は桜子の着物を見ると目を細めて、
「いいじゃない、その着物。自分で買ったの?」
半分、室内に入る様に促しながら今日、桜子が選んだ着物を褒めた。
「はい、アンティークでいいのがあったから。これ、叔母様が好きないちご大福。」
「ありがとう。」
美由紀は一旦台所に行きお茶と桜子が買ってきたいちご大福を持ってきた。
その間に桜子は外の庭を見ていた。
東京で小さいながらもこれだけの庭があるのは珍しいかもしれない。
「庭のゆきやなぎ、綺麗に咲き始めましたね。」
その花は小さな白い花をいくつも柳の様についていて可憐な印象を与えた。
美由紀は煙草に火をつけて、
「もうすぐ春だから。それで?梓の店の子ってどんな子?」
ようやくこのうちに来た本題に話は進んだ。